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社長&顧問ブログ

2021.10.15

日英同盟の陰に情報あり

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

日露戦争における 風刺画の話と

巨大国ロシアと何故 日本が戦うようになったかを

風刺画から読み取ると言う話でした

 

風刺画をよく見てみる

へっぴり腰の日本兵を イギリス人が後ろから押していて

それを アメリカ人が眺めている様子がわかります。

 

だから 何なの? という事になりますが

 

日本も ただ 押されただけで そのまま戦っていたのでは

絶対に 叶わない相手ですので 戦争に負けていたかもしれません。

 

ただ 精神論で 死中に活を求める だけでは返り討ちに遭うのは目に見えていたと思うのです。

 

この時 やはり 必要だったのは 情報です。

 

何度も書いていますが 情報は発信する事だけが重要なのではなく

収集して分析できて 始めて価値が出て来るのです

では この日露戦争の時は 単に勇敢な兵士が戦ったから勝てたのでしょうが?

そうでは なく

緻密な情報収集があってこそ 有利な条件で戦いを終えることができたのです。

 

この前例があるにも関わらず

太平洋戦争では 交渉の時期を間違えて ボロボロになるまで戦い 敗戦を迎えてしまう事になってしまったのではと思います

 

では 日露戦争における 勝因の一つは何かと考えてみますと

 

ロシアと戦うに当たって、日本は非常に大きな外交成果を上げていたのです。

それは「日英同盟」です。

日本は徳川幕府時代に、列強との間で様々な不平等条約を結ばされていました。

これをどうにかして改正するために活躍したのが、

当時の外務大臣・陸奥宗光です。

この日英同盟があった事が 日露戦争の勝因の一つとなるのですが

陸奥の功績もさることながら、

日英同盟を成立できた要因は他に大きく3つあったと言われています。

 

1つは日本人のおもてなしなのです。

 

1874年、金星の(太陽面)通過に際して

各国から日本に観測隊が送られて来たのです。

その時、明治政府は彼らを歓待し、非常に親切にふるまったのでした。

 

2つ目は、義和団事件での日本兵の姿です。

1899年、清国の義和団という秘密結社が外国人を襲撃し、

日英米露独など8か国が清国に進駐し、居留民の保護に当たりました。

この時、北京で日本軍を指揮したのが柴五郎中佐と言う人物です。

この時、駐清イギリス公使は

日本兵の勇敢さ、柴五郎の指揮の見事さに深く心を打たれ、

日本との同盟樹立を推進してくれたのでした。

 

そして

3つ目は、イギリスの利害に関する情報でした。

イギリスは当時「光輝ある孤立」と称し、

他国と同盟を結ばない政策を取っていたのです。

世界のどの地域においても

優勢を誇れるだけの軍事力を持っていたからですが、

ただ、アジアでは事情が異なると掴んだのが

福島安正と言う方でした。

 

彼は陸軍士官学校も陸軍大学校も出ていませんでしたが、

40歳にして単騎シベリア横断を決行して

488日間かけて1万4000キロを踏破しましたのです。

さらにその後、

ロシアの極東進出に対するイギリスの動きを観察すべく、

1年半かけて香港、ベトナム、インドといった

イギリスの植民地をつぶさに見て回ったのです。

 

そこで、

「イギリスは手を広げ過ぎて、単独でロシアの極東進出を阻むつもりはないだろう」

という見解を導き、

自らの目と耳で日英同盟の可能性を見出したのでした。

 

これらの情報収集と分析を行って 交渉をして

日英同盟をすることが出来たと言われています。

 

このように

当時は ITなどありませんが

情報収集して分析を行うと言うのは いかなる時代においても

重要だという事が分かりますね

 

今は ITがあるので そのスピードが昔より早くなったと言うだけで

中身が大切だという事には変わりありません

 

 

そして

ただ 日英同盟が出来ただけでは ロシアとの交渉は簡単に出来ません

 

そこには また 別な役回りができる人物が必要なのです

 

それは 風刺画を思い出していただければ 答えは分かると思いますが

 

それは誰なのか???

 

 

明日に続く、、、。

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