EXECUTIVE BLOG
2021.10.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
風刺画から 日露戦争を読み解くと言う話でした。
本来であれば ロシアに勝ったことで インドで起きた
面白い事に続かなければなりませんでしたが
いつも言っていますが
ここのブログは早朝起きてすぐに 何もまとめる事もなく
書いているので 前後もはっきりしておらず
又 歴史学者でもありませんから 思い付きのまま書いています
のでご容赦ください
それで 今朝思い出した話から書くことになります。
日露戦争前に ロシアは シベリア鉄道の完成を急いでいました
これが 完成すると 中国や朝鮮侵攻出来るだけでなく
当時 イギリスの植民地であった インドにまで進出すのではないかと
イギリスは考えて 先の風刺画に有ったように 日本の背中を押して
ロシアと戦わせたのではと言われています。
この日露戦争の前に 起きてた戦争が
日清戦争でしたね、
日清戦争で日本が勝ったことにより清からの独立を果たした朝鮮は、
大韓帝国として生まれ変わりました。
この時日本は、閣議において朝鮮を
「なるべく干渉を止めて自立させる」という方針を決定しているのです。
西欧とは違い 植民地化するのではなく 自立させようとしていたのです。
この時の考えがきちんと後世に伝えられていれば
韓国から 日本は侵略国だと言われずに済んだのではと思いますが、、。
ただ
千年以上にわたり中国の属国であった朝鮮の人々は、
独立自尊よりも事大主義へと傾いて行ったのです。
事大主義とは、強いものに付き従うという考え方のことです。
三国干渉で遼東半島をロシアに返還するよりなかった日本とロシアを比べたとき、
ロシアの方が強いのだと多くの朝鮮人は考えてしまったようです。
そのため、
親ロシア派が宮廷内で力を強め、
独立派と親日派を次第に排除していく事態となってしまいました。
このことは、日本にとって見過ごせない問題となるのです。
当時清国の義和団の乱が満州に及ぶと、
治安を回復することを口実にロシアは軍を動かし、
満州全域を占領してしまうのです。
そのままロシア軍は満州に居座り、いよいよ朝鮮への侵略を開始したのです。
ロシアは北朝鮮の龍岩浦を占領すると朝鮮との間に強引に租借契約を結び、
この地をポート・ニコラスと勝手に名付けました。
この港は黄海に出る重要な拠点であり、これによりロシアは遼東半島沿岸と朝鮮の西海岸付近の制海権を握ることに成功したのです。
これでは日本は
朝鮮を守ることはおろか、日本本土の防衛においても、これは大きな脅威でした。
日本は何度もロシアに抗議しましたが、すべて無視されてしまうのです。
無理もありませんね、大国ロシアから見れば、
日本など歯牙にかけるまでもない小国だったからです。
当時のロシア海軍の艦船の総排水量は約51万トンですが、
日本の連合艦隊は26万トンに過ぎませんでした。
何度も言っているように、日本が太刀打ちできる相手でないことは、
世界中のどの国から見ても明らかなことでした。
それでも当時の日本にとって唯一の救いは、世界があ然とする同盟をイギリスとの間に結べたことだったのです
明治35年、日英同盟が結ばれたことは国際社会を驚かせました。
先日書いたように、
大英帝国は「光栄ある独立」を誇りとしており、
ヨーロッパ各国とさえ同盟を結んでいなかったからです。
その大英帝国がまさか有色人種の小国と同盟を結ぶとは、誰も予想し得ないことでした。
今日の写真は、日清戦争に勝ったことで、いよいよ日本も列強クラブの仲間入するところの
当時の風刺画です。
イギリスに紹介されて登場した日本は
洋装に高下駄、目が細くて出っ歯の男として描かれているのです。
初めての東洋人の参加に戸惑ったり、冷ややかな視線を送る列強の姿を垣間見ることが出来ますね。
あきらかに人種差別している絵だと思いませんか?
しかし 世界はこのような目で日本を見ていたのでしょう。
それでは
何故イギリスは 東洋の小国 日本と 日英同盟を結んだのか??
それは???????
明日に続く、、、、。