EXECUTIVE BLOG
2023.6.6
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
九州の雄県だった熊本が 福岡にその座を譲る原因の一つに
教育機関が絡むと言う話から
今では 馴染のない 旧帝国大学の話になりました。
この旧帝国大と同じ様に 昔の高校は 旧制高校と言われていて
その中でも ナンバースクールと言われていた高校が 日本を代表する
超優秀校だったのです。
このナンバースクールは、1948年(昭和23年)まで日本に存在した高等教育機関の一つである旧制高等学校の中で、数字を冠した学校群の事なのです。
ナンバースクールはその後新制大学に取り込まれて行くのです。
かつてはナンバースクールを前身とする大学を他の国立大学より格上と見なす風潮が
ありましたが、
今では それを言う人をあまり見かけなくはなりました。
旧制高校が今の何大学かと言いますと
一高 第一高等学校 東京大学
二高 第二高等学校 東北大学
三高 第三高等学校 京都大学
四高 第四高等学校 金沢大学
五高 第五高等学校 熊本大学
六高 第六高等学校 岡山大学
七高 第七高等学校 鹿児島大学
八高 第八高等学校 名古屋大学
以上の様になります。
昔の超エリートは 一高 東京帝大へ進む人が殆どでした。
今で言う 日比谷 東大のようなものでしょうか?
このナンバースクールの学生は殆どが寮生でした、
戦後 このOB達が各地で 寮歌祭を行って 昔の青春時代を思い出していたようです。
日本のエリートを産んできた 旧制高校も 太平洋戦争末期の昭和18年には
戦争に巻き込まれる事になるのです。
それが 学徒出陣と呼ばれるもので 兵隊が少なくなるのを防ぐため
学生を戦地に送る政策が取られ 昭和18年雨の国立競技場で 東条英機ら軍人 国民が
見守る中 大行進を行い その後戦地へ赴いていったのです。
その多くの若者は 還らぬ者になってしまったのは 非常に残念な事でした。
ペンを剣に強制的に握り替えさえられたのです。
もし 学徒動員が行われなかったら 戦後の日本は もっと早く豊かになっていたかもしれません。
この国立競技場での壮行会で 答辞を行った学生は 第一高等学校の生徒でした。
やはり ナンバーワンの高校でしたから そこから選ばれたのだと思います。
この生徒について 色々な話がその後出て来るのですが
この話は 又後日と言う事で
旧制高校 旧帝国大学 出身者が日本をリードしてたのは間違いありません
で あるならば
そこには 優秀な生徒が集まります
と言う事は
優秀な大学を誘致すれば その地にには優秀な人が集まるのです
それが
先日からの話の続きとなるのです
その内容とは????
は
明日に続く、、、。