EXECUTIVE BLOG
2023.6.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 九州の雄県だった熊本県が 何故 その座を福岡に
譲る事になったのか? の話でした。
熊本は官の力が強く 博多は 商人の力が強かった事でじわじわと 差がついて来たのではと思います。
それが証拠に ある 有力な商人の強い思いがありました。
彼は 重要な施設が熊本に集中するのを見て なんとか 福岡にそれらを招致しようと
の思いでいっぱいでした。
その為に思いついたのが 教育機関だったのです
で 何をしたのかの前に
戦前の教育機関について語らなければなりませんね
現在の日本の学校制度は
「小学校→中学校→高等学校→大学」を基本とする学校制度で、
これは太平洋戦争後の1947年(昭和22年)から整備されたものなのです。
それ以前の学校制度は現在とは似て非なるものだったことを知らない方の方が今では多いかと思います。
1872年(明治5年)に学制が公布されてから、
明治政府は日本全国に学校を設置していきますが、
当初は小学校にすら通えない人が珍しくありませんでした。
尋常小学校の6年間が義務教育となるのですが、この尋常小学校の就学率が97%を超えたのが1907年(明治40年)のことなのです。
ちなみにこの時点で、日本に大学は3つしかありませんでした。
それが
東京帝国大学(現・東京大学)、
京都帝国大学(現・京都大学)、
東北帝国大学(現・東北大学)です。
この帝国大学の起源は1886年の帝国大学令によって、
東京大学が帝国大学という名前に変更になり、
それ以来、全国各地に帝国大学が設置されていったのです。
帝国大学についてWikipediaによりますと
「帝国大学とは、1886年(明治19年)に公布された帝国大学令によって設立された旧制高等教育機関(大学)である。内地に7校(七帝大:東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋)、外地に2校(京城、台北)が設置された。戦後は新制大学における「大学群」の一種として再編成されたが、旧内地にあたる日本国内でその系譜をひく大学を「旧帝国大学(旧帝大・旧七帝大)」と呼称している。」
と説明されています
設立の順序と
1886年 東京帝国大学 (東京大学)
1897年 京都帝国大学 (京都大学)
1907年 東北帝国大学 (東北大学)
1911年 九州帝国大学 (九州大学)
1918年 北海道帝国大学(北海道大学)
1918年 京城帝国大学 (ソウル大学校)
1928年 台北帝国大学 (台湾大学)
1931年 大阪帝国大学 (大阪大学)
1939年 名古屋帝国大学(名古屋大学)
となっています。
今では 殆ど耳にしませんが
私が子供の頃は 「○○さんは 旧帝大出身だよ」 とかの会話を
良く耳にしていました。
いわゆる超エリート大学と言う事になります。
この旧帝国大学を語るには
その前の 高校の話もしなければなりません
それが 今は無き 旧制高校です
その中でも 超エリート高校が 別名ナンバースクールと呼ばれていた高校です。
それらの話は
明日に続く、、、