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社長&顧問ブログ

2022.9.20

旧陸軍省大講堂にて

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 戦犯の話から

自分の身を守るために 偽の証言を繰り返し 元の上官を極東軍事裁判に

おいて死刑にしてしまった 妖怪と呼ばれた 田中隆吉の話でした。

 

歴史の見方は 色々ありますので 田中隆吉が本当に悪者だったのか??

それとも 天皇陛下を戦犯にさせない為に そのような証言を行ったのか??

は 私には分かりませんが 色々な説があるようです。

 

戦後も77年も経ってしまうと 当時の出来事を知っている方は 殆ど居なくなって

しまって 資料からだけで判断するしかないので 研究者は大変だと思います。

 

この極東軍事裁判が行われた場所ですら 現代人は知らない方が大半だと思います

その場所は 今の市ヶ谷の防衛省がある場所です。

 

この場所は もともと 陸軍省があった場所で 入口には 長崎平和祈念像で有名な

北村西望が作った 将軍の孫と言う 子供が敬礼をしている銅像が置かれてありました。

 

少し前の方は 防衛庁は 六本木で 市ヶ谷は自衛隊だったと記憶されているかとおもいますが

 

今は 市ヶ谷が 防衛省となっています。

 

そして 極東軍事裁判が行われた大講堂は 取り壊されて 同じような形の

ミニ版として 敷地内に残されていて 見学もできますので

当時の 極東軍事裁判の様子を想像することが出来ます。

 

この 大講堂は 極東軍事裁判で有名でしたが その後 有名になった事がありますね

 

それが あの有名な 三島由紀夫事件です。

三島は 割腹自殺をする前に この大講堂のバルコニーにて 集まった自衛隊員に向けて

大演説を行ったのです。

 

マイクも無く 地声で叫んでいたので 殆どが聞き取れなかったようですが

自衛隊に向けて 今こそ立ち上げってクーデターを起こせ!と言った内容でした。

 

しかし 意に反して 自衛隊員からも罵声が飛ぶ始末で 三島も もはやこれまで

と思い 総監室で 割腹自殺を遂げたのです。

 

その演説を行った場所が 大講堂バルコニーだったのです。

 

 

時が経ってしまうと そういう記憶も薄れていきますし 知っている方も少なくなってしまいます。

三島事件は 私が 丁度中学三年生の時でした。 まだ子供ですが

そのニュースを知った時に 激しく動揺した事を覚えています。

 

この大講堂があった 市ヶ谷の旧陸軍省では 他にも色々な事がありました。

 

ポツダム宣言受諾するか否かの意見が交錯する中 当時の陸軍大臣は

課員を地下会議室に集めて

「進も引くも この阿南について来い」 との激を飛ばすのです。当然 この時は

引く事など毛頭考えていませんでしたが 聖断が下った以上引くしかないと

悩んで考えたのも この陸軍省内大臣室でしたし その決定がなされて

終戦の準備を行う中 若手将校の 畑中健次少佐が 上官である井田中佐に

今こそ 陸軍が立ち上がるべきだと 涙で訴えたのも この陸軍省大講堂でした。

 

その講堂が 極東軍事裁判所として使われ 戦犯を裁く場所となるわけですから

終戦の日に 割腹自殺を遂げた 阿南大臣や 畑中少佐は どのような思いを

持ったのでしょうか??

 

そして この軍事裁判で 死刑判決を受けた 戦犯たちが 処刑される場所は

今では 東京の大繁華街にあるあの場所で行われたのです。

 

その場所には 今では想像も出来ない建物が建っていますし

それを知らない人は殆ど居ないであろうくらい 有名な場所になっています。

 

一体それは どこだったのか?????

それは 今 どうなっているのか???????

 

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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