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2024.9.12

早起きは三文の徳

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは幕府が倒されて 明治新政府ができ

そこから 文明開化が始まると言う話でした。

 

文明開化は色々な日本の風習や文化を変えることになりますが、

一体どんなものだったのでしょうか?

 

その一つ目が制度改革です。

明治時代に入ると明治新政府は遅れていた政治システムや制度を西洋に追いつくぐらいまでにするために立て続けに新制度を設けました。

例えば太陽暦の採用です。

これまで日本は太陽太陰暦という月の満ち欠けを基準とした暦を使っていましたが、

1873年(明治6年)の時に太陽の動きを基準としている今と同じ暦である太陽暦を採用しました。

さらに曜日制度もこの時整えられ西洋みたいに日曜日を休日とすることにしたのです。

 

また、これまでの武士という階級をなくし、国民全員が兵隊として国のために働くようになったのもこの時期からです。

 

ここで 新たに興味が湧くと思うのですが

明治時代になって 暦も変わり曜日制度もできて 日曜日を休みとしたのですが、

だったら江戸の人って 休みはなかったのか???? と思いますね

 

江戸時代の一週間は、現代とはかなり異なる生活リズムだったのです。

江戸時代の人々は、主に農業や商業に従事しており、

生活は季節や天候に大きく左右されました。

 

時間の管理において、

江戸時代には「不定時法」という時間の管理方法が使われていました。

これは、昼と夜をそれぞれ6等分し、その長さを「一刻」と呼ぶもので、

季節によって一刻の長さが変わるという複雑な制度だったのです。

 

農民は、日の出とともに起き、日没とともに仕事を終える生活をしていました。

農作業の合間には、村の共同作業や祭りなども行われました。

商人は、早朝から店を開け、夜遅くまで営業していました。

商家の家訓には「早起きは三文の徳」などの時間に関する言葉があり、

時間を守ることが重要視されていたようです。

 

この「早起きは三文の徳」ということわざは、

「朝早く起きると、何らかの利益がある」という意味ですね。

 

「三文」とは、江戸時代の一文銭三枚のことですが、

このことわざの場合は金額の三文を示すというより

「ごくわずかな」という一般用語だと考えられています。

「三文」という言葉は「極めて安いこと」の比喩でもあるので、

例えば「三文小説」とか「三文判」といった言葉がいまでも使われていますね、、、、

 

またこのことわざの「徳」とは、

「利益・もうけ」といった意味を示しています。

用例としては「お徳用」などの言葉があります。

「損得」の「得」という字を用いることもありますが、

「徳」をあてはめることが一般的なようです。

なお「朝起きは三文の徳」といった言い方をされることもあります。

このことわざは「きょう早起きするとよいことがある」という意味ではなく、

常日頃からの、「早寝早起き」といった規則的な生活習慣を勧めるものとされているのです。

 

そうは いっても 時計も無い時代ですよね

日の出が朝であれば 夏は冬よりも相当早く起きていことになりますが

自分達自身は気が付いていたのでしょうか??

 

今のわれわれは時計を持っていますから

冬だとまだ夕方4時なのにもう薄暗いと思ったりしますし

夏だと 朝方4じなのにもう明るいと思う事があります。

 

時計が無い時代に江戸の人は 時間をどのように知って管理していたのか?・

の話は

 

明日へ続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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