EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2025.12.22

明日は戦犯処刑の日

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

明日の、12月23日という日付は、

平成天皇の「天皇誕生日」です。

 

しかし、この日が日本の歴史において持つ意味は、

単なる祝日という枠を大きく超えています。

 

今から70年以上前の1948年12月23日、極東国際軍事裁判、

いわゆる東京裁判において死刑判決を受けた東條英機ら7名の

A級戦犯の刑が執行されました。

 

この執行日がなぜ12月23日だったのかという点について、

多くの歴史家や研究者が、

連合国軍側による極めて周到で政治的な意図があったと指摘しています。

 

それは単なる事務的なスケジュールの結果ではなく、

日本人の精神構造を根底から書き換えようとする

心理的な戦術の一環であったと考えられます。

 

まず最も注目すべき事実は、

この12月23日が当時の皇太子殿下、

つまり現在の、後の上皇陛下の15歳のお誕生日であったという点です。

 

これは偶然の一致として片付けるにはあまりにも残酷で、

狙い澄まされた日付と言わざるを得ません。

 

連合国、特に主導権を握っていたアメリカ側は、

将来の天皇となる人物の祝日に

「処刑」という血塗られた記憶をあえて重ね合わせました。

 

これには明確な意図があったと推察されます。

 

一つは、皇室の慶事を戦犯処刑という忌まわしい記憶で塗りつぶすことです。

日本国民が将来にわたってこの日を祝おうとするたびに、

同時に戦争の責任と敗北の記憶を呼び起こさせるような仕組みを作ったのです。

 

また、これは当時の天皇制に対する無言の、しかし強烈な警告でもありました。

 

次世代のリーダーの誕生日に旧体制の象徴を処刑することで、

これからの皇室が連合国の管理下に置かれること、

そして過去の軍国主義とは完全に決別しなければならないことを、

これ以上ないほど鮮明に突きつけたのです。

 

次に、この日が「冬至」に近いタイミングであったという点も、

非常に重要な意味を持っています。

 

冬至は一年の中で最も太陽が出ている時間が短く、

古来より「太陽の力が最も弱まり、ここから再び復活していく日」

という象徴的な意味を世界中で持っています。

 

連合国は、軍国主義に染まった古い日本を「日が沈みゆく死の状態」に見立て、

処刑を一つの区切りとして執行しました。

 

そして、その翌日から始まる新しい日本、

すなわち民主主義国家としての再出発を「昇る太陽」になぞらえるという、

劇的な新旧交代のドラマを演出しようとした可能性があります。

 

天文学的な周期さえも、

政治的なメッセージの道具として利用したのではないかと考えられます。

 

さらに、この日付は西洋のキリスト教的な倫理観からも説明がつきます。

 

12月25日はクリスマスであり、

キリスト教圏の人々にとって一年で最も神聖で平和な祝祭日です。

その直前の23日に、彼らが「悪」と定義した戦犯をすべて片付けることは、

一種の「大掃除」のような意味合いを持っていました。

 

汚れた過去を清算し、清々しい気持ちで平和の祭典であるクリスマスを迎えるという、

彼らなりの正義の完遂という論理です。

 

同時に、24日のイブや25日当日を避けることで、

キリスト教社会から

「聖なる日に殺生を行う」という批判を受けるリスクを回避しています。

 

年内にすべての決着をつけ、新しい年を自分たちの望む形でスタートさせるという、

事務的かつ冷徹な計算がそこには働いていました。

 

実は、このような日付による心理戦は、

裁判の開始当初から一貫して行われていました。

 

例えば、東京裁判の起訴状が提出されたのは1946年の4月29日です。

この日は、当時の昭和天皇の誕生日である「天長節」でした。

 

天皇が生まれた日に、その臣下たちの罪を断罪する書類を突きつける。

そして、次の天皇が生まれた日に、その刑を執行する。

この一連の流れは、明らかに計算された演出です。

「戦争の責任は天皇の名の下に行われたものである」というメッセージを、

言葉による説明以上に強烈な視覚的、時間的な体験として

日本人の記憶に刻み込もうとしたのです。

 

このように、12月23日という日付の選択には、

日本人のアイデンティティを根本から揺さぶろうとする、

目に見えない「心理的な占領」の意図が凝縮されています。

本来であればおめでたいはずの祝日や季節の節目を、

あえて処刑という負の記憶と結びつけることで、

国民の精神的な支柱を破壊し、連合国が望む新しい価値観へと誘導しようとしたのです。

 

爆弾や銃弾による物理的な破壊が終わった後も、

こうした「時間と記憶」を用いた高度な統治術が行われていました。

 

私たちは、戦後史の教科書に書かれている事実の裏側に、

こうした巧妙な思惑が張り巡らされていたことを忘れてはなりません。

 

この日付を巡る出来事は、

戦後日本がどのように形作られていったのかを象徴する出来事の一つです。

 

連合国による「象徴の破壊」という試みは、確かに日本人の心に深い影を落としました。

しかし同時に、日本人はその後の歴史の中で、

この重い記憶を抱えながらも平和国家としての道を歩んできました。

 

12月23日が持つ歴史的な二面性、

すなわち「誕生と祝祭」そして「処刑と断罪」という矛盾した意味を知ることは、

私たちが自国の歴史をより深く、多角的に理解するための重要な鍵となります。

 

歴史の日付一つひとつに込められた意図を紐解いていくことは、

私たちが現在立っている場所が、

どのような過去の積み重ねの上に成り立っているのかを再確認する作業に他なりません。

 

冷徹な政治的判断によって選ばれた12月23日という日は、

今もなお、日本の戦後精神史における静かな、

しかし重厚な問いを私たちに投げかけ続けています。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

次の記事へ
前の記事へ