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社長&顧問ブログ

2023.8.9

明治から昭和

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 日本で最初の弁当の話から

そういえば 駅弁は昔 駅弁売りのおじさんが各車両の前を売りに回って

乗客は窓を開けてそれを買っていました。

 

今では キオスクとかコンビニで皆さん買われるのでこのような光景を目にすることはありませんね

 

それから 赤帽さんも 殆どの方は見方事がないのではと思います

 

そんなに大きくない赤い帽子をかぶったおじさんが 乗客からお金を頂くと

その荷物を列車からもって 改札口出口まで持って行き そこで バスやタクシーにまで

荷物を載せる手伝いをしていました

 

料金もそんなに高くなく 今で言うチップ程度だったと思うので

それで生活が出来ていたのかも心配になりますね

 

このサービスは国鉄が行っていたのか 赤帽と言う団体が行っていたのかまで

調べてませんので分かりません、、、。

 

いつの間にか 昔のサービスが消えて行きますね

私達が 小学校の頃は 明治生まれの方も沢山いまして

昭和43年が 明治100年にあたります。 その頃の新聞には 明治は遠くなりにけり

とか 書かれていたのを覚えています。

 

それと同じように 昭和もどんどん遠くなっている気がします

 

先日 ある会社の方が来ていた時に 昭和入社の方は少なりなり 中堅社員くらいまでは

平成生まれである事に気付かされました。

 

昔の考え方を押し付けようとしても 中々伝わらないのでしょうね、、

 

私が子供の頃 食べ物で 文句を言った時には 祖父や父からは 必ずと言っていいほど

戦時中はろくに飯も食えなかったんだ!と怒られていました。

 

多くの日本兵が亡くなった ガタルカナルは 戦闘で亡くなった方以上に

餓死した兵士がいたそうで その事から その島の事を 餓島(がとう) と呼ばれていたことを思い出しました。

 

昭和43年が 明治100年ですから 私が産まれた頃はまだ江戸時代の人が生きていたと言う事になります

 

そんな 話をすると信じられないでしょうが あり得ますよね

 

新選組の隊士の中で 最後に亡くなった方は 昭和14年でしたから

私の父や母は その方に会っていてもおかしくはないのです。

 

明治以降 日本は発展して それにつれてサービスも向上してきたと言う事で

駅弁売りや赤帽さんを見かけなくなったのです

 

しかし 一気に進化はしておらず 赤帽のサービスを見たある方が

宅配の走りのようなサービスを始めたのです

 

軽配達の赤帽の創始者は松石敏男と言う方です。

彼が軽配送の名前を赤帽としたのには 深い訳があったことをご存知のかたは少ないと思います。

それは

松石氏を感動させた鉄道の赤帽の姿に起因します。

 

一人の赤帽さんが荷物をおろした後汗をふく瞬間があったのですが、

その時の動作がプロ意識にあふれていたと言うのです。

 

荷物に赤帽さんの汗が少し落ちた時に、その赤帽さんはまずはその汗をタオルで拭きとってから、自分の顔の汗を拭きとったのでした。

本当に小さなことで見る人が見なければわからないような一瞬の動作ですが、

その動作を見て松石氏は

「自分の疲労よりもお客さんの荷物を大事にすることを考えている」

と気づいたわけです。

 

その職業倫理に感動して、

彼は自分のビジネスにも赤帽という名前をつけたそうです。

 

明治から 昭和の人は 本当に一生懸命働いていたと思います

 

そのおかげで国力も伸びて来たのですが

今 日本の国力が落ちていると言われています。

 

明治百年から 今度は 昭和百年にだんだん近づいています。

 

ビジネスを進めるにも 彼らの精神を今一度我々は学び直す必要があるのでは

と思ってしまいますね、

 

と言う事の話になり

なかなか 先に続けません、

 

明日はどのような展開になるのか????

明日のお楽しみ、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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