EXECUTIVE BLOG
2022.8.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
聖徳記念絵画館の中にある大政奉還の絵の話でした。
歴史の教科書に必ずと言って良いくらいに この絵は載っていますね。
そこで よく見てみると 皆 うやうやしく頭を下げている中
1人 動揺を隠しきらずに横を向いてる構図から作者の意図が読める気がすると言う
話でした。
この聖徳記念絵画館は、
明治天皇・聖憲皇太后の業績を後世に伝えるために建造された絵画館で、
80枚の絵画がずらりと並んでいます。
で 今日の話は
色々な絵がある中である違和感を感じた話です。
それは、まず明治天皇が病床の岩倉具視をお見舞いする絵です。
構図としては、
岩倉具視は畳に敷かれた布団の上で女性に支えられてなんとか起き上がって
明治天皇をお迎えしているのですが、
一方の明治天皇は畳の上に靴で直立不動でお見舞いをしているのです。
他の絵を見てみますと、
日清戦争の傷病兵を皇后陛下と慰問する絵の他に、いくつか慰問の絵があります。
こちらの明治天皇お姿も、もちろん直立不動なのです。
これらが書かれた時代は大日本帝国憲法下の日本です。
大日本帝国憲法は天皇が国民に与える憲法すなわち欽定憲法であり、
皇族以外の国民は臣民とされ、天皇に従属する存在だったのです。
天皇は国家元首であり神聖不可侵な存在だったのです。
大日本帝国憲法の中の
第1章は天皇陛下に関する条文があり
第3条まで見て分かるように
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
とあります。
要約してみますと
天皇は統治権のすべてを掌握し、
議会の協力なしに宣戦、条約締結、戒厳令などを行使できる権能を持ち
陸軍と海軍の最高指揮権を有していました。
また、議会の閉会中には法律にかわる勅令をだすこともできたのです。
このような天皇陛下を 臣民と同じ目線で描く事など出来なかったと思います。
そこで逆に気づいた事がありました。
戦後の日本国憲法下
平成の天皇陛下が慰問をするとき、
膝をついて目線を相手に合わせている事が多いのですね、
天皇が床にひざをつき被災者と直接に向き合って励ましの言葉をかける姿は、
すでに皇太子だったときから見られたのです。
昭和六十一年十一月二十九日、
三原山噴火で千代田区の体育館に集団避難してきた大島島民を慰問された時、
疲れ果ててぐったりと座りこんだ被災者たちが声をかけられても
立ちあがれない様子を見ると、
自らが腰をおとしひざをついて話を聞かれたのでした。
この姿は、
この国の天皇、皇室の歴史上はじめての光景であったのです。
平成天皇は
天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと考え、
天皇は政治を動かす立場にはなく、
伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っていると考えられていたのです。
今多くの方は 平成天皇のお姿からしか記憶にないと思います。
このお姿を知っている我々が 聖徳絵画館で明治天皇のお姿を見ると
違和感を感じてしまうのではないかと思います。
時代が流れ憲法も変わりました。
で
明日は 歴史に もしもはありませんが
もし 明治維新が失敗していたならば
薩長が天下をとれなかったらどうなっていたのか????
の妄想話に
続きます、、、。