EXECUTIVE BLOG
2024.6.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは モザンビークの話から エチオピアの話になりました。
アフリカの話は 何か 遠い国の事に感じて
知らない事ばかりですね。
エチオピアの皇帝との結婚話があった事など 今の方々は殆ど知らないと思います。
しかし その結婚も 植民地主義の西欧の思惑で 破談されてしまうのですが
当時の日本時は その時に アフリカとの関係を強めておいた方が良いと
考えていたのかもしれません。
ある意味先見の明があったのかもしれません。
この時の花嫁候補の 黒田雅子様は 国から押し付けられてと言うのではなく
自ら花嫁候補に名乗り出たのです。 逆に 国同士の思惑で 破談にされた事に
悲しんだのでは 推測します。
アフリカの話は興味深い事が多いですし まだまだこの話は続きそうですが
今日は 一旦話を変えて、、、
昨日は時の記念日でした。
時の記念日だった事をご存知の方は少ないかもしれません、 何故なら記念日であって
国民の祝日ではないからです。
では この時の記念日とは 何の為の記念なのか???
ですが、
1920年、東京天文台と生活改善同盟会が、
「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」
というスローガンのもと、時の記念日を制定しました。
これは、時間の大切さを尊重し、その意識を広めるための一環だったそうです。
文部省の外郭団体であった生活改善同盟会は、「時の展覧会」を開催し、
その期間中に6月10日を記念日と定めたのです。
この日は、日本で初めて時計が使われた日に由来していると言われています。
世界的に見ると、時計の始まりは日時計や水時計が多いようですが、
日本で初めて時計を作ったのは、『日本書紀』に記されている天智天皇の水時計だと伝わっています。
いくつもの水槽から管で水が落ちていき、
最下層の水槽に浮かべてある矢が浮かび上がって
指す目盛りで時刻を計るというものでした。
この水時計で時の鐘を鳴らしたのが現在の6月10日だったため、
この日が「時の記念日」となったそうです。
では、日本で最初に機械時計を使ったのは誰かと言いますと、
キリスト教の伝来とともに機械時計が伝わったとされ、
フランシスコ・ザビエルが周防国の大内義隆に献上したという記録が残っているようです。
現存する機械時計で一番古いものは、徳川家康にイスパニアから献上されたものとされ、今も静岡県の久能山東照宮に保管されていますね、
そうは 言っても 一般庶民は時計など持っていませんでしたね
江戸時代の町民は どのようにして 時間を把握していたのか??
にも興味が湧きます
それは??
明日は エチオピアの話に戻るか????