
EXECUTIVE BLOG
2025.8.16
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 戦争終結の為の緊迫した閣議の内容から
阿南陸軍大臣の葛藤の話しでした。
今日は終戦の玉音放送後の出来事についての話になります、、。
1945年8月15日、正午。
雑音混じりのラジオから流れる天皇陛下の玉音放送が、
日本全土を静まり返らせました。
炎天下の街路も、疎開先の田園も、最前線の飛行場も、
その瞬間だけは時が止まったようでした。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…
その言葉は、長く続いた戦いの終結を告げました。
多くの人は深い安堵と共に敗戦の現実を受け止めましたが、
その一方で、すぐには受け入れられない者たちもいたのです。
特に軍人の中には、命を賭して戦い続けた自らの生き方を、
戦争終結と共に突然手放すことに耐えられない者が少なくなかったのです。
その日の午後、大分県宇佐航空隊の滑走路に、
十一機の艦上爆撃機「彗星」が並んでいました。
そこに立っていたのは、第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将です。
彼は午前中、天皇の詔勅を拝聴し、戦争が終わったことを知っていました。
しかし、
これまで自らの指揮で数多くの若い特攻隊員を
死地へ送り出してきた自責の念が胸を締め付けていました。
「自分だけが生き残ることは、潔しとしない」——
そう決意した宇垣は、長官としてではなく
一兵士として最後の出撃に臨むため、軍服の襟章を外しました。
宇垣は部下に向かって
「自分は行くが、お前たちは来なくてよい」と告げます。
しかし、彼の心意気を感じ取った部下たちは、
その命令を聞かず、自ら志願して後に続きました。
滑走路脇では整備員や隊員たちが黙って見送ります。
やがてエンジン音が高まり、十一機は順次離陸。南の空へ向かう編隊は、
二度と戻ることはありませんでした。
沖縄近海で米艦隊を目指した彼らの最後の飛行は、
戦術的には意味を持たないものでしたが、
忠義と責任感の塊のような行動でした。
一方、その同じ日、九州の別の基地でも、
また別のドラマが繰り広げられていました。
ここでも司令官は、玉音放送の後にもかかわらず、
部下たちに「敵基地への体当たり攻撃」を命じました。
敗戦を認めず、
最後まで戦うべきだという信念からの命令でした。
ある若い搭乗員は、その司令官を前席に同乗させたまま出撃します。
上空に舞い上がると、前方には突入すべき敵の基地が広がっていました。
しかし彼の胸中には、正午に聞いた天皇陛下の言葉が強く響いていました。
「もはや戦いをやめ、国を守るために命をつなげ」と。
彼は操縦桿を握りしめ、海の彼方へは向かわず、
急旋回して自らの基地近くの地上へと機体を降下させます。
轟音と共に機体は地面に激突し、炎が上がりました。
天皇の詔勅を守るため、
そしてこれ以上無駄な血を流さぬために取った行動でしたが、
その代償は自らの命でした。
こうして、同じ日、同じ空の下で、
二つの全く異なる決断がなされたのです。
宇垣中将は自らの責任を果たすために命を絶ち、
それに追随した部下たちもまた命を落としました。
一方の若い飛行士は、上官の命令に従いながらも、
天皇の命を優先して敵に突撃する前に命を絶ちました。
どちらの行動も、冷静に見れば命を失う必要のなかったものであり、
戦争という極限の中でしか生まれ得なかった悲劇でした。
戦争末期、日本各地で似たような逸話が残されています。
降伏の情報が届かず、あるいは信じられずに戦い続けた部隊、
逆に戦いをやめて武装を解いた部隊。
どちらの選択にも、それぞれの信念や事情がありました。
しかし共通していたのは、
「もし戦争がなければ、彼らは生きていた」という事実です。
宇垣の最期は、責任感と部下への想いが極限まで高まった末の行動でした。
襟章を外したその姿は、軍人としての地位や立場を捨て、
一兵卒として戦場に向かう覚悟を示していました。
部下たちは、その覚悟に胸を打たれ、自らも死地へと飛び立ちました。
彼らにとって、
それは上官を一人で行かせないという武士道の美学であり、
共に散ることへの迷いはありませんでした。
一方、天皇の命令を守るために機体を自ら地上に落とした飛行士もまた、
別の形の勇気を示しました。
軍規に背く行為は重罪であり、
ましてや司令官を同乗させたままの行動は尋常ではありません。
それでも彼は、戦いをやめるという最高司令官の意思を守るため、
自らの命を犠牲にしました。
これは、
忠義の方向が「死にゆくこと」から「命を守ること」
へと変わった瞬間とも言えます。
もしこの二つの出来事を一歩引いて見れば、
そこには共通する悲劇が横たわっています。
本来であれば、どちらも若い命を失う必要はなかった。
戦争が終わったその日に、
なお命を落とさなければならなかった現実こそが、戦争の残酷さの証です。
私たちは、
このような物語を単なる美談や武勇伝として語り継ぐべきではありません。
そこに込められた悲しみと無念、
そして「もう二度と同じ過ちを繰り返さない」
という誓いを受け継ぐべきです。
忠義も信念も、命を守るためにこそ使われるべきであり、
命を捨てるために使ってはなりません。
今日の平和な日常は、
あの日、空へと飛び立った者たち、そして敵の目前で操縦桿を引いた者たち、
双方の犠牲の上に築かれています。
だからこそ私たちは、その命の重さを忘れてはなりません。
信念のために命を絶つ勇気よりも、
信念のために命を守る勇気が尊ばれる社会を作らねばならないのです。
どうか、この物語を知る人が、未来の世代に語り継ぎますように。
そして再び、同じ空の下で、命を無駄にするような日が訪れないことを、
心から願いたいと思います。