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社長&顧問ブログ

2025.11.7

朝倉文夫

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 日本最初の文化勲章受章者の横山大観の話しから

その師である 岡倉天心の話しでした。

 

今日は 戦後初の受賞者の一人でもある 朝倉文夫の話に進みます、、。

 

朝倉文夫は、明治から昭和にかけて日本の彫刻界を代表する巨匠であり、

「東洋のロダン」と呼ばれた人物です。

 

一八八三年、大分県の豊後高田市に生まれ、幼いころから造形に優れた才能を示しました。上京して東京美術学校に入学し、高村光雲に師事して木彫を学びましたが、

単なる仏像や装飾彫刻の域にとどまらず、人体の構造や生命の動きを観察し、

写実的でありながら内面の精神性を表す新しい日本彫刻の道を切り開きました。

 

彼の代表作には、若き日の情熱と哀愁を表現した「墓守」や、

人間の一瞬の動きをとらえた「時の流れ」、

早稲田大学構内にある「大隈重信像」などがあり、

いずれも力強く気品ある造形で高く評価されました。

 

特に猫をこよなく愛したことで知られ、自宅の庭でも多くの猫を飼い、

猫を題材にした作品を数多く残しました。

 

その繊細な毛並みや姿勢からは、生命への温かなまなざしが感じられます。

 

朝倉文夫が文化勲章を受章したのは、昭和二十三年、つまり一九四八年のことでした。

戦後最初の文化勲章の授与であり、

混乱と再生の時代において日本の芸術文化を支えた功績が認められたのです。

 

受章理由は、日本近代彫刻の礎を築き、その芸術を世界水準にまで高めたことにあります。

 

それまで日本では、

彫刻は寺院の仏像や建築装飾といった実用的な目的で作られることが多く、

一つの独立した芸術としての地位は確立していませんでした。

 

朝倉はその状況を打ち破り、彫刻を純粋な美術として社会に認めさせた先駆者でした。

また、教育者としての役割も大きく、母校の東京美術学校で後進の指導にあたり、

彫刻を学問として体系的に教えました。

 

その教えを受けた弟子の中には、後に文化勲章を受ける佐藤忠良や北村西望など、

日本を代表する彫刻家が多くいます。

 

彼は技術を教えるだけでなく、彫刻家としての精神を重んじ、

自然や人間を尊ぶ心を育てました。

 

さらに朝倉は、彫刻が単なる形の模倣ではなく、

対象の内面や生命の輝きを表現するものだと考えました。

 

彼の作品には、動物でも人間でも魂を感じさせるような力があり、

見る者に生きる尊さを語りかけます。

このような独自の表現理念と教育活動が総合的に評価され、

文化勲章の栄誉につながりました。

 

そして、朝倉文夫のもう一つの顔が谷中のアトリエです。

彼は東京の台東区谷中に、自ら設計した住居兼アトリエを構え、

現在も「朝倉彫塑館」として残されています。

 

谷中を選んだ理由にはいくつかの背景があります。

第一に、

この地域は東京美術学校に近く、多くの芸術家が住む環境だったことです。

画家や彫刻家が集まる街の空気は創作意欲を高め、互いに刺激を与え合いました。

 

第二に、

谷中は寺や墓地が多く、静寂で落ち着いた雰囲気があり、

都会にありながら自然に包まれた環境だったことです。

朝倉は芸術には静けさが必要だと考えました。

 

庭には池や竹林を設け、

四季折々の自然を感じながら作品づくりに集中できる空間を自ら作り上げました。

また、その住居は単なる作業場ではなく、生活と芸術を一体化する理想の場でもありました。

 

建物の設計から庭園の構成まで自らの美学で統一し、

「生活そのものが芸術である」という信念を体現しました。

居間や書斎からは庭の風景を見渡すことができ、池には鯉が泳ぎ、

竹がそよぎ、風や光までもが作品の一部となるよう計算されています。

 

このように朝倉のアトリエは、制作のためだけでなく、

日常生活を通して芸術と向き合う実験場だったのです。

 

彫塑館の内部には、人間像や猫の彫刻が多数展示され、

彼の息づかいがそのまま残っています。

 

訪れる人々は、彫刻家の生活のリズムや美へのまなざしを感じ取ることができます。

谷中の街は現在も芸術と下町情緒が混ざり合う地域として人気ですが、

その原点の一つがこの朝倉文夫のアトリエです。

 

朝倉は生涯を通して「芸術は人を高める力を持つ」と信じ続けました。

戦争で荒廃した日本社会の中で、人々に希望を取り戻させるには、

美と創造の力が必要だと考えていたのです。

 

だからこそ彼の彫刻には、生命への敬意と人間への愛情があふれています。

文化勲章受章後も、彼は権威に安住せず、最後まで作品づくりを続けました。

その姿勢は弟子たちに深い感動を与え、日本の彫刻文化の精神的支柱となりました。

 

彼が築いた「芸術と生活の融合」という理念は現代にも受け継がれています。

 

谷中の朝倉彫塑館は、ただの美術館ではなく、

一人の芸術家が理想とした暮らしと創作の形を今に伝える貴重な空間です。

静かな庭に立つと、

まるで彼が今もそこにいて新しい作品に向き合っているような気持ちになります。

 

朝倉文夫の人生は、日本の近代彫刻の歩みそのものであり、

写実と精神を兼ね備えたその作品は、時代を超えて多くの人の心を打ち続けています。

 

彼が戦後最初の文化勲章を受章した理由は、単なる技術の高さではなく、

芸術を通して人間の尊厳と希望を表現し続けたその生き方にあるのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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