EXECUTIVE BLOG
2024.10.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 新宿の話から 宿場町の話になってしまいました。
参勤交代などで 各藩の殿様が泊る宿の事を 本陣と言っていたのですね
旅籠屋との違いが中々分かりにくいですが、
本陣は町の有力者によって経営され、苗字帯刀を許されたので由緒ある家柄の人だったのです、
一般の旅籠とは違い、門構え・玄関付きの大規模な構えで、宿の本通りに位置することが多かったようです。
本陣は天皇の遣いの勅使や公家、大名など身分の高い者が宿泊するための宿で、
その特権として玄関や書院、門を備えている所が多く、
非常時の逃走経路や侵入者を防ぐ設備が備わっていることもあったそうです。
旅籠屋は江戸時代にはさまざまな宿泊施設があり、提供されるサービスが異なっていました。旅籠屋は、本陣とは異なり、身分の高い人々が宿泊するための宿ではなく、一般の人々が宿泊するための宿だったのです。
それで 参勤交代の時の家来たちは 本陣には泊らずにこの旅籠屋を利用していたと思われるのですが、
昔の絵に出て来る参勤交代の列は 長く描かれているのを良く目にすると思います。
参勤交代には 非常にお金がかかるので 大勢の家来を伴っては大変な事になるので
宿場町に入る時に 臨時にアルバイトを雇って 威厳を保っていたとも言われています。
又 人の多きところだけはゆっくり歩き その他のところは 殆どが早歩きの状態だったようです。
早く 江戸につかなければ コストばかりがかかってしまいますから
こればかりは 今も昔も 経費削減を求められていたのですね、、。
それから 一般の人が利用する宿として 木賃宿と言うのを聞いた事があるかと思います。
この木賃宿は、宿場町の外れに位置し、燃料代程度もしくは相応の宿賃で旅人を宿泊させた最下層の旅籠の事なのです。
宿泊者は大部屋で、寝具も自己負担が珍しくなく、食事は宿泊客が米など食材を出しあい、薪代相当分を払って料理してもらうのが原則であった。
木賃の「木」とはこの「薪」すなわち木の代金の宿と言うことから木賃宿と呼ばれたんですよ。
当時の最大の宿場町はどこかまでは分かりませんが
現存する 宿場町として 最大なのは
馬籠宿とか妻籠宿 それに奈良井宿で いまでも 宿場町の雰囲気を残しているので
是非 一度 昔の旅人になった気分で 旅行されたら如何でしょうか??
しかし 今の様にネットも無い時代 ちょっと前までは 電話予約が一般的でしたが
江戸時代は 電話もありません
ちょっと聞いたところ 出たところ勝負で 行って見なきゃわからない状態ですし
今みたいに 自由に旅行に行ける時代ではないので
客の方が選び放題だったのではと思います。
しかし 自由に旅行には行けなかった時代にも関わらず
旅行ブームを作った人が江戸時代にもいたんですよ、、、
一体それは どこの誰なのか???
きっと一度は聞いた事があるだろうと思います
が
その話は 明日へ続く、、、。