EXECUTIVE BLOG
2024.8.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 江戸三大大火事の 振袖火事の話しでした。
振袖がどこで大火事に繋がるのか? と言うのが今日の話になります。
最初に振袖の娘が亡くなり 棺桶に 振袖をかけたのですが、
寺の住職はお菊の振袖を古着屋に売ってしまった。
こうして振袖は持ち主を変えながら次々と不幸を運んでいくことになると言う話でした。
死んだお菊の振袖を最初に手に入れたのは、本郷元町の麹屋吉兵衛の娘、お花でした。
お花は、古着屋で見つけたこの振袖に心を引かれて両親に買ってもらったのだ。
しかし翌年、お菊と同じ1月16日に16歳で病死するのです。
お花の葬式は最初の娘と同じ本妙寺で執り行われ、これまた振袖が寺に納められたのです。法事が終わり、振袖は再び古着屋の手を経て、今度は中橋の質屋伊勢谷五兵衛の娘にわたるのだが、彼女も2人の娘と同じく翌年の1月16日に16歳で亡くなってしまうのです。
どうもこの振袖はおかしいと 住職は思うのです。
振袖によってもたらされる不思議な因縁に恐ろしくなった住職は、
供養をして振袖を焼き払うことにしたのです。
明暦3年、1657年1月18日。和尚が読経しながら振袖を火に投じると、
突如として強風が吹き荒れたのです。
すると、火のついた振袖は火の粉を散らしながら舞い上がり、
本堂はあっというまに火柱になってしまったというのです。
そして その火はどんどん広がっていき、江戸の市内をも燃やしつくしたのでした。
これが その後振袖火事と言われる事になるのです。
ところで、どうして振袖は舞い上がってしまったのだろうと思ってしまいますね、、
娘の妄執が不思議な霊力を働かせたのだろうか??
実は、、
明暦の大火が起こったその日、江戸は前日からの北西の強風が吹いていたのです。
そのうえ、江戸の町は明暦2年の11月から翌年3年1月にかけて、80日近くも雨が降っていなかったと言うのです。
江戸特有の天気ですね、、
一滴も雨が降っていないカラカラの天気に、強い季節風が吹きますから、
現代の日本なら、さしずめ天気予報士のお姉さんが
「江戸は異常乾燥注意報が出ています。火のもとに注意しましょう」
なんてテレビで注意喚起しますが、
何せ 時代は江戸時代です。
そんな日に、大火事は起こってしまったのですから 間が悪いとしか言いようがありませんね。
「喧嘩と火事は江戸の華」なんて言われるように、江戸はとにかく火事が多かったようです。
天正18 年1590年に徳川家康が江戸に入部してから、明暦の大火までの67 年の間に、
江戸では 140件の火事が発生しているそうです。
3年続けて同じ月日に、同じ年齢の娘の命を奪ったとされるいわくつきの振袖にまつわる奇怪な「振袖火事」ですが
これにより 都市計画が実施されていく事になるのです。
そして 火消という組織も出来あがって行くのです。
新門辰五郎は 江戸末期の火消として活躍した人です。
明日は いよいよ
辰五郎の話に戻れるのか??????
は
続く、、、。