
EXECUTIVE BLOG
2026.1.10
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
本日は一月十日です。
十日恵比寿の日ですね、、、
今日は この話に進みます、、、、、。
一月十日といえば全国各地で行われる十日恵比寿祭り、
いわゆる「十日戎(とおかえびす)」が思い浮かびます。
商売繁盛や家内安全を願うこの祭りは、
関西を中心に古くから人々の生活と密接に結びつき、
現在では日本を代表する年中行事の一つとなっています。
十日恵比寿祭りの主祭神は七福神の一柱である恵比寿神で、
漁業や商業の守り神として広く信仰されてきました。
恵比寿神は日本固有の神とされ、
古代には海からの恵みや市場の繁栄をもたらす存在として人々に崇敬され、
やがて商いの神としての性格が強まっていきます。
十日恵比寿祭りの起源については明確な一人の創始者がいたわけではなく、
各地の恵比寿信仰が中世以降に結びつき、
正月行事として定着していったと考えられています。
なかでも現在の十日戎の原型が整ったのは室町時代から江戸時代にかけてで、
市場経済が発展し、商人階層が力を持つようになった時代背景と深く関係しています。
なぜ一月十日なのかという点については諸説ありますが、
正月松の内が明け、
商売の本格的な始動を迎える節目の日であったことが大きいとされます。
元日から七日までの間は年神を迎え家内の安泰を祈る期間であり、
その後に「今年の商いをどう進めるか」を
神に願う日として十日が選ばれたという解釈が一般的です。
また十日を中心に、九日を「宵戎」、十一日を「残り福」とする三日間構成は、
忙しい商人が都合の良い日に参拝できるよう自然に広まったものと考えられています。
十日恵比寿祭りを語るうえで欠かせないのが、
現在でも全国的に知られる兵庫県の西宮神社と大阪の今宮戎神社です。
西宮神社は全国約三千社ある恵比寿神社の総本社とされ、
古くから商人や漁民の信仰を集めてきました。
特に有名なのが「福男選び」で、
十日未明に門が開かれると同時に境内を駆け抜け、
一番最初に本殿に到着した参拝者がその年の福男となる神事は、
近代以降に全国的な注目を集め、十日戎の知名度を一気に高めました。
一方、今宮戎神社は大阪の商人文化と強く結びつき、
「商売繁盛で笹持ってこい」という囃子詞とともに、
福笹に縁起物を授かる風習で知られています。
この福笹の習慣も江戸時代に定着したもので、
笹は生命力が強くまっすぐ伸びることから、
商いの成長と繁盛を象徴する縁起物とされました。
十日恵比寿祭りがどのように全国へ広がったのかを考えると、
江戸時代の交通網と商人の移動が大きな役割を果たしたことが分かります。
上方で盛んになった恵比寿信仰と十日戎の風習は、
廻船業や市場取引を通じて各地に伝わり、
地方ごとに独自の形を取りながら定着していきました。
港町や宿場町では特に恵比寿神が歓迎され、
商業都市の守り神として祀られるようになります。
明治以降、鉄道網の発達とともに
大規模な神社の祭礼が新聞やラジオで紹介されるようになると、
十日恵比寿祭りは「年初の商売繁盛行事」として全国的に認知されるようになりました。
現在では関西のみならず、
関東や九州、地方都市においても一月十日前後に恵比寿祭りが行われ、
露店が立ち並び、福笹や熊手を求める人々で賑わいます。
こうした姿は単なる商業祈願にとどまらず、
新しい年を前向きな気持ちで始めようとする
日本人の心情を映し出しているとも言えるでしょう。
十日恵比寿祭りは、誰か一人が始めた制度的な行事ではなく、
商いと生活を大切にしてきた人々の願いが積み重なり、
時代を超えて育まれてきた信仰文化です。
一月十日という日付に込められた節目の意識、恵比寿神への親しみ、
そして人と人が集い賑わう場としての祭りの力が重なり合い、
今日まで脈々と受け継がれているのです。