EXECUTIVE BLOG
2023.7.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
広大な北海道を開拓し 県都札幌を誰が整備したのか??が
今日の話になります。
旅行者は観光で 札幌時計台や 大通り公園などを訪れる事があるかもしれませんが
市民でない限り 札幌市役所にはいかないと思います。
札幌行かれた方は 是非札幌市役所にも行って頂きたい事があります。
そこには あの人物の銅像が建っているからです。
この人物とは 佐賀県出身の島義勇と言う人です。
地元佐賀でもなかなかその名前を知っている方は少ないかと思います。
江藤新平や 早稲田大学の創立者である大隈重信は有名ですが
島義勇の事をご存知の方は少ないです。
佐賀には七賢人と言われる江戸時代末期から明治維新にかけて活躍し、
その後も功績を残した方々居ました。
その当時の佐賀藩出身の七人とは、
鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信
の七人です。
この七人は明治時代頃から顕彰されていましたが、
「七賢人」と総称されるようになったのは昭和56年ごろからだそうです。
ただし 佐賀新聞が行った調査では10.2%の回答者が7人全員の名前を答えられたのに対し、25.4%の回答者は1人も答えられなかったそうです。
そんな佐賀の人まであまり知らない 七賢人の一人の 島義勇が 佐賀からは遠く離れた
札幌を整備したのです。
江戸時代、佐賀藩は福岡藩とともに、長崎警備を担当していました。
その頃ロシアは樺太や蝦夷地への進出をうかがっていました
そしてロシアに対する備えの為に島は蝦夷に派遣されたのです。
数々の苦難を乗り越えて北海道を開拓した島義勇は
北海道では「開拓の父」として、慕われ、
北海道神宮のほか、札幌市役所にも銅像が立てられ、円山公園には
顕彰碑「島判官紀功碑」が建立されています。
約150年前。島が雪の舞う丘から 札幌はいつの日か世界一の都市になるだろう
と吟じていた札幌市は
今や人口200万に迫る大都市に成長し、札幌市中心部は島の都市計画に従った形で
今も発展を続けているのですね。
その後島がどうなったかは 又の機会と言う事で
北海道と佐賀の関係のはなしは これくらいで
明日は
北海道を離れる事ができるのか???
は
明日に続く、、。