EXECUTIVE BLOG
2024.8.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 加賀百万石の 加賀鳶の話から
鳶と鷹の 話になってしまいました。
鳶をトビと読める方も少なくなってますし
鳶が高所作業員の事を言う事もご存知ないかもしれません。
話しはあちこち飛んでしまいますが
鳶で思い出したのが 東京タワーです。
東京スカイツリーが出来るまでは 東京を代表する いや日本を代表するタワーです。
東京スカイツリーは、東京都墨田区の押上にある電波塔で、高さは634メートルです。
世界で最も高いタワーとして知られています、
この建設は2008年に着工され、約3年半の期間をかけて2012年に竣工したのです。
一方の 東京タワー
昭和32年6月に工事が始まって、完成は昭和33年の12月だったので、たった1年半で建設したんです。
今の建設関係の方がこの話を聞いたら 当然知っているかもしれませんが
今や伝説として語られているのではと思います。
この時の工事には、のべ約22万人の作業員が工事に関わり、
朝6時~夜6時までの長時間作業が続いたそうです。
これを聞いただけでも 今での労働基準では考えられない事だと驚くと思います。
そもそも東京タワーが建設された理由は何かと言いますと、
東京タワーができた昭和33年12月までは、
各放送局が自前で電波塔を建ててテレビの電波を送っていたのです。
その時の各局の電波塔の高さは150mくらいで、半径70kmくらいしか電波を飛ばせなかったんです。
半径70kmだと、栃木県のほぼ全域、埼玉県深谷より北、静岡県全域には 電波が届かないのです。
各局が独自の電波塔を建てると、
東京の鉄塔だらけの街になり景観を損ねる、羽田空港の離発着時の危険
などが問題視されていました。
しかも、テレビのチャンネルを変えるごとに、テレビのアンテナの向きを変えないと行けませんでした。
そこで、300m級の高いテレビ等を建設して電波塔を一本化し、
半径100km圏内にテレビ電波を届かせる計画が持ち上がったのです。
東京スカイツリーは 大林組が建築しましたが
東京タワーは 竹中工務店だったのです。
今の様にパソコンも無い時代に
何と当時は機械もないので、手計算で東京タワーを設計したと言うのですから
驚きです、、、。
昭和30年代に設計された高層建築なのに、現代でも通用する耐震性と耐風性なのです。
この工事を支えたのが 当時の鳶職人です。
地上333メートルの作業にも命綱を付けていなかったと言う事です。
この鳶たちは 当時どのようにしてあの東京タワー建設に携わっていたのか????
それは????
明日に続く、、、、。