EXECUTIVE BLOG
2022.7.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 谷中を散歩している時に 見つけた地蔵さんの話でした。
これは 昭和20年に谷中一帯が 米軍の空襲に遭い 多くの犠牲者の
霊を鎮めるために建てられた地蔵さんだったのです。
戦後も77年になると 記憶も薄れて来ますが
間違いなく戦争で多くの犠牲者が出たのは事実です。
散歩の途中でそれを見つけて この辺りも 被害を受けたという事を知ったのです。
1945年3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、
約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下したと言うのですから驚きです。
殆どの住人は寝込んでいつ時間でしたから 逃げ遅れた人も多かったと思います
この時、
現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、広範囲が焼け野原となって
一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼったと言うのです。
今の常識で考えますと 住人の安全を考え こうなる前に政府は非難命令を
出すのでは思いますが
日本政府は「逃げずに火を消せ」の方針を貫いたのです。
当時の 知事と警視総監からは連名で
次のような告諭が出されました。
・罹災者の救護には万全を期している。
・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。
「恐れるな」など無理な話だと今であれば思います。
しかし、この時の空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず、
「被害は僅少」という大本営発表が報じられていましたので、
それを信じる国民も多かったそうなのです。
これは 現代においても 似たような話がありますね
ロシアによるウクライナ侵略戦争は 我々西側の世界の人々は
ロシアによる理不尽な侵略だと考えていますが ロシアの国内向けの報道は
それらは抹殺されてますし 戦いにおいても かなりまげて伝えているようです。
国が情報統制とるとなかなか国民には事実が伝わらないのは
今も昔も変わらないのでしょうね
で 私の話に戻りますが そこで谷中で見た地蔵さんに 手を合わせ
平和への祈りを捧げたのですが
その夜から 高熱が出てしまったのです。
霊的な話が好きな人は それは 戦災でなくなった方の霊が憑りついたとか
言い出しそうですが
確かに 苦しみながら多くの方が亡くなった事には違い無いでしょうが
その方々も きっと平和な世界を望んでいたと思います。
何か 訳アリの場所にいって 何かあると 直ぐ霊の仕業だとかいう人も
居ますが
そう思う人も 苦しんでいる御霊様の立ち行きを願うようにした方が良いと
私は思います。
先日も書きましたように 心霊スポットとかいうより パワースポットだと
置き換え この谷中の地蔵さんも 平和を愛するお地蔵さんだと思い
多くの人に祀られる地蔵さんになってもらいたいと思います。
今日は 谷中の地蔵さんの話になりましたが
上野公園にも あの人が建てた 平和の祈念碑があるのです
それは なにか????
は
明日に続く、、、。