EXECUTIVE BLOG
2024.3.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは いよいよ東京六大学野球 最後の加盟大学の東京大学の話でした。
都内には 他にも強豪が 多々ある中 何故東京大学の加盟が許されたのか?
と言う話でした。
結局加盟の大きな理由は 東京大学を加盟させておけば 色々東大人脈を活用できると
言う事だったとは何となく理解してします。
結果的にみますと最良の判断だったかもしれませんね
しかし これが東大ではなく 強豪中央大学とか 駒沢 青学だったりしてましたら
早稲田や 明治が あれほどの優勝回数を誇れたのかと思ってしまいますし
受験においても 順位が変わっていたかもしれませんね
何となく 東京六大学と言うだけで 名門の響きがしてしまいます。
で その東大の加盟に大きく貢献した1人の名投手がいると言うのが今日の話になります。
その投手と言うのが 東武雄と言う人物です。
東は1925年9月25日、中野の法大球場で行われた記念すべきリーグ初戦の法政戦に先発して、
法政打線を1点に抑えるとともに8回には自ら本塁打を記録してるのです
そして 試合も4対1で法政に勝って、東大に初勝利をもたらしている。
しかも
この試合での東の本塁打は東京六大学リーグの第1号本塁打だったのです。
更には
1927年春の立教戦では驚く事に東大史上初の東大唯一のノーヒットノーランも達成しているのです。
東大のみならず東京六大学リーグの歴史に残る名投手と言える投手だったです。
東投手の挙げた通算16勝は、17勝の岡村甫に次ぐ東大野球史上第2位の記録となっていいます。
この17勝あげた 岡村投手は 立教大学に長嶋が居た時代の選手で
しかも 卒業後は 東京大学工学部長にになっている 秀才だったと言うのが素晴らしいです。
因みに この岡村投手は 高知県土佐高校出身です。
話しは戻って
東投手が卒業した後の東大の戦績は
1933年から1938年にかけて10季連続最下位になるなど東大が一気に弱体化しています。これを見ても、いかに東の力が大きかったかが分かると思いますね、
そして この東投手のお兄様は、1959年から1967年までの2期8年間、
東京都知事を務めた東龍太郎です。
さて、東京六大学リーグが始まって以来一度の優勝を記録することもなく、リーグ最多連敗記録連敗を更新するなど加盟時から今日に至るまで苦難の道を歩み続けている東大ですが、
当初の連盟からの条件だけは、しっかりと守り続けている事が実はあるのです
それは????
明日に続く、、、、。