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2025.5.18

東西ローマ帝国から衰退迄

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日まではローマ帝国建国までの話しでした

今日は このローマ帝国が大ローマ帝国となり やがて東西にわかれ

そして衰退していく話に続きます、、、。

 

ローマ帝国は、もともとは小さな都市国家ローマから始まりました。

紀元前1世紀には、内戦をくぐり抜けてアウグストゥスという人物が初代皇帝となり、

「ローマ帝国」が誕生したのですね。

 

その後、ローマ帝国は軍事力や優れた道路、法律、統治の仕組みによって勢力を広げていき、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアにまたがる広大な帝国となりました。

地中海のほとんどがローマの支配下に置かれ、人々はラテン語やギリシャ語を使いながら、比較的安定した暮らしを送っていたのです。

 

しかし、あまりにも広すぎる領土を維持し続けるのは簡単ではありませんでした。

まず、国の中での政治がだんだんと乱れていきます。

皇帝が次々に変わり、軍の力で皇帝になる人も増えました。

また、帝国の各地では戦争が続き、国の経済も弱ってきます。

特に3世紀には「軍人皇帝時代」と呼ばれる混乱の時代があり、

短期間で多くの皇帝が交代するような不安定な状態になりました。

 

このような混乱を立て直そうとしたのが、4世紀の皇帝ディオクレティアヌスです。

彼は、帝国をより効率的に治めるために、ローマ帝国を「東」と「西」に分けて、二人の皇帝がそれぞれの地域を治めるようにしたのです。

これが「東西分割統治」の始まりなのです。

 

しばらくはうまく機能していましたが、完全に一つの国としてまとまっていた時代に比べて、各地で独自の動きが強まり、次第に統一を保つことが難しくなってしまいました。

 

その後、コンスタンティヌス帝という皇帝が現れ、首都をローマから東のビザンティウム(のちのコンスタンティノープル)に移しました。

ここは後の東ローマ帝国の中心となりましたね。

 

また、彼の時代にはキリスト教が公認され、のちには国の宗教として大きな役割を果たすようになったのです。

 

一方、西のローマでは、経済の弱体化、貴族の力の強まり、

農民の貧困、税の重さなどが人々の生活を圧迫しました。

また、ゲルマン民族の大移動によって、各地から異民族がローマの領土に侵入してくるようになります。

中でも西ゴート族やヴァンダル族などがローマの地に押し寄せ、西ローマは次第に力を失っていきました。

 

そしてついに、476年、西ローマ帝国の最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスがゲルマン人の首長オドアケルに追放され、西ローマは事実上滅びます。

この出来事が、古代ローマの終わりとして語られることが多いようです。

 

一方で、東のローマ帝国はその後も生き残り、ビザンティン帝国として知られるようになり、さらに1000年近く続いていくことになります。しかし、それはもはやローマというよりはギリシャ文化の強い別の国になっていました。

 

このように、ローマ帝国はその広さゆえの統治の難しさや、

経済の衰え、外からの侵入など、さまざまな要因が重なって分裂し、

やがて西側は滅び、東側も後にオスマン帝国に征服されて完全に姿を消すことになりました。

ですが、

その法律、建築、言葉、文化などは、現代ヨーロッパに今も強く影響を与え続けているのですね、、

 

このローマ帝国から その後の オスマン帝国 モンゴル帝国の中で

一番 大きく領地を持って統治能力があったのか???

 

に興味が湧きますね

 

この話は????

 

明日へ続く、、、。

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