
EXECUTIVE BLOG
2025.2.19
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
靖国神社は、日本の戦没者を祀る神社として知られていますが、
戦後の1978年にA級戦犯が合祀されたことが大きな議論を呼びました。
なぜ彼らが合祀されたのか???
が 今日の話しです。
第二次世界大戦後、東京裁判(極東国際軍事裁判)で戦争責任を問われた指導者たちは、
罪の重さに応じて「A級」「B級」「C級」と分類されました。
「A級戦犯」とは、戦争を計画・主導したとされる人々で、
東条英機元首相をはじめとする28人が起訴され、うち7人が死刑となったのです。
戦後、靖国神社は戦没者を祀る神社としての役割を続けていました。
1950年代から1960年代にかけて、戦犯の赦免や名誉回復が進められ、
国内では戦犯を「戦争犠牲者」とみなす空気が強まっていきました。
その流れの中で、靖国神社は1978年にA級戦犯14名を合祀したのです。
この決定を下したのは、当時の宮司・松平永芳です。
彼は、戦犯も戦争で命を落とした日本人であるという考えから、合祀を決めました。
昨日 A級戦犯であった 松井岩根は 合祀されなかったと書きましたが よく調べて見たところ 彼も 合祀されていました。
A級戦犯の一人である松井石根は、中国・南京攻略戦を指揮した軍人として知られています。彼の家族は、彼が靖国神社に合祀されることに反対していました。
松井自身が生前、戦没者の英霊と自分を同列に扱うことに慎重であったこともあり、
遺族は合祀に強い違和感を抱いていて 合祀しないようにと願いを出していたそうです。
しかし、
靖国神社の方針として、戦争で命を落とした軍人を一括して合祀するという考えがあり、家族の意向とは関係なく合祀が進められてしまったのです。
一方で
靖国神社に合祀されなかったA級戦犯もいます。
その代表例が、重光葵や賀屋興宣です。
彼等が合祀されなかった理由ですが、、
重光葵は日本の外務大臣を務め、戦後の東京裁判で有罪判決を受けましたが、
その後赦免され、戦後日本の復興にも関与しました。同様に、
賀屋興宣も戦犯として投獄されましたが、戦後赦免され、その後日本の政界に復帰しました。彼らは戦後に政府の要職についたことなどから、
靖国神社の合祀対象とはならなかったと言うわけです。
一方で、広田弘毅元首相は、A級戦犯として死刑判決を受け、1978年に靖国神社に合祀されました。
このように
靖国神社にA級戦犯が合祀されたことで、日本国内外で大きな問題となってしまったのです。
このように 靖国神社は A級戦犯を合祀しましたが 決めたのは 松平宮司でしたが
実際実行した宮司は違う人です
この事で あのお方が 激怒したとのです
また 何故 政府はその時に 合祀を取りやめるように言えなかったのか????
の 不思議な話は
明日へ続く、、、。