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社長&顧問ブログ

2023.8.25

松井石根大将

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

南京で日本軍の兵隊が 人切合戦を行ったと言う

いわゆるフェイクニュースで 死刑になってしまうと言う話でした

 

この軍人は 処刑前まで 日中が仲良くすべき 世界平和が大事だと

語っていた立派な軍人でしたが

当時の新聞が ロクに調べもせず伝聞記事を書いてしまったために起きた

悲しい出来事でした。

 

しかし その事の恨みは一言も述べる事なく刑場に消えたこの軍人を思うと

悲しくなります。

 

それから 極東軍事裁判で 南京大虐殺の指揮をしたとして

処刑された将軍がいます。

その人物が 松井石根と言う人です

 

松井石根は、日本の陸軍軍人で、最終階級は陸軍大将でした。

彼は「日支提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけていましたが、

ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決を受け、処刑されてしまったのです。

 

彼が陸軍幼年学校在学中、感銘を受けた思想がありました。

それは川上操六が唱えた「日本軍の存在理由は東洋の平和確保にあり」という見識でした。川上は、

日本が将来、ロシアとの戦争を回避することは困難だと断じ、

その防備としてアジア全体の秩序を構築し直す必要性を訴えていました。

そのための軸となるのは、日本と中国との良好な提携であるというものでした。

 

この川上の思想に接して強い共鳴を覚えたのが松井将軍で、若いころから中国との平和と

提携が必要だとの考えを深めていたのです。

 

彼は孫文や蒋介石とも親交があり、

日本と中国が連携して欧米列強の侵略に対抗する

「大亜細亜主義」という思想を持っていました。

 

共産主義を排し、平和裏に中国の統一を促すために奔走していたのです。

 

彼はまた、「大亜細亜協会」を設立し、

「欧米列強に支配されるアジア」から脱し、「アジア人のためのアジア」を実現するために「日中の提携が第一条件である」とする「大亜細亜主義」を推進していたのです。

 

このように彼は多くの功績を残しましたが、

敗戦後に南京大虐殺の首謀者として戦犯として裁かれることになりました。

彼も絞首刑にされる時にも 恨み言を一切言わずにいたのです。

 

彼は 戦後 日本人中国人分け隔てなく亡くなった方の霊を弔うために

興亜観音を建てています

 

そこに書いてる事を読んでみますと 彼が南京大虐殺の首謀者とは

とても思えませんね

 

参考までにここに記しておきます

 

「興亜観音縁起

支那事変は友隣相打ちて莫大の生命を喪滅す 実に千歳の悲惨事なり 然りと雖いえども是所謂東亜氏族救済の聖戦なり 惟おもふに此の犠牲たるや身を殺して大慈を布く無畏の勇慈悲の行 真に興亜の礎たらんとする意に出てたるものなり 予大命を拝して江南の野に転戦し亡ふ所の生霊算せいれいさんなし 洵まことに痛惜の至りに堪へす 茲に此等の霊を弔ふ為に、 彼我の戦血に染みたる江南地方各戦場の土を採り、 施無畏者慈眼視衆生の観音菩薩の像を建立し、 此の功徳を以て永く怨親平等に回向し、 諸人と倶ともに彼の観音力を念じ、東亜の大光明を仰がん事を祈る

 

因に古島安二氏其他幾多同感の人士併に熱海市各方面の熱心なる協力を感謝す

 

紀元二千六百年二月

 

願主 陸軍大将松井石根誌」

 

敵味方の区別なく菩提を弔おうという松井大将の武人としての優しさに心を打たれますね。

 

いまだに ウクライナでは戦争が続いています

一日も早く戦争が終わる事を願うばかりです。

 

で 明日は???

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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