EXECUTIVE BLOG
2024.6.30
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 東京の亀有の話から
京都の亀岡市と三重県の亀山市の話でした。
京都の亀岡市はかつて「亀山」と呼ばれていました。
しかし、明治2年(1869年)に藩主松平信正が東京に呼ばれ、
知藩事に任命される際に政府から「亀岡と改称せよ」と命じられたことで、
名前が変更されました。明治政府によって決められたこの改称により、
現在の亀岡市となったのです。
もともと亀山だったのですから 亀岡に変えると言われた住人は
とんでもないと思ったと思います。
今であれば 大抗議集会とか開かれ 収拾が付かなったのではと思います。
それが 簡単に明治政府の一存で変えられるものなんでしょうか?
明治2年と言うと 徳川幕府が終わって間もなくですね
ご承知の通り 維新軍が徳川を破って 薩摩と長州を中心とした国家づくりが始まりでした。
先ほど書きましたが
亀岡の初代知事は 松平さんですね
松平家は 徳川家に関係している家柄です。
薩長からすれば 憎き相手です、
一方の亀山の方は 最初は幕府側についていましたが
鳥羽伏見の戦いで 維新軍に恭順した側です。
新政府とすれば どちらの名前を変えたら良いかとの議題が上がった時に
徳川方の亀山を 亀岡にしてしまおうと
決めたのではと思います。
これに関する話で
日本全国に 県庁所在地がありますね
その都市名を見て 不思議に思う事があると思うのです。
それは なにか???
の話は
明日へ続く、、、。