EXECUTIVE BLOG
2020.9.19
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
なかなか 情報協同組合の話に戻れずに
いつの間にか 江戸時代の話になってしまっています。
しかも 私は歴史研究家でもなく 中学高校の時の記憶を繋ぎ合わせて
書いているので
史実と反する部分が多々あると思いますが、
ここで言いたいことは 歴史の流れが面白いと言う事と
いつの時代も情報は大切な武器であると言うことなのです。
当時は伝達手段も無い時代でしたの 情報の伝達と言うモノは
人を介して行われていたので
それぞれが 何らかの形で関わっていなければ情報は途絶えてしまうのです
それで ペリーの話になり 1853年にペリーが来航した時に
幕府に突き付けた要求が 八丈島が米国に帰属すると言う事だったのです。
鎖国で 海外の事情を知らない事に付け込んでの要求でした。
しかし この危機を回避することが出来たのは
ペリー来航から100年近く前からの 人々の行動とその情報が奇跡的に
絡み合って 幕末の危機を救うことになるのですから 歴史の偶然か必然か
の流れが面白いのです
今まで出てきた人物は 田沼意次 林子平 松平定信でしたが
今日は ここに あまり歴史上では名前が出てこない 桂川甫周と言う人に
注目してみたいと思うのです。
今回の話も 曖昧な記憶を頼りに書きますので 史実と違うことがあれば
ご容赦頂きたいと思います。
桂川甫周と言う方は お父様が医者と言うこともあり
有名な書 解体新書に関わった一人と言われています
そもそも解体新書と言えば 教科書では 杉田玄白 前野良沢 と言う名前が有名ですね
この書は 解剖学書『ターヘル・アナトミア』と言うオランダの医学書を訳した本ですが
当時は 辞書と言うモノもないので
一つ一つを暗号を解くがごとくの作業で 翻訳まで数年かかっているのです。
その時翻訳に関わったのが 杉田玄白と前野良沢だったのです。
そして 翻訳したものを幕府に献上した人が 玄白の友人で 今回の主役の
桂川甫周のお父さんだったのです。
そう言うことで 桂川甫周がどの程度 この翻訳に関わったか迄は分かりませんが
この蘭学者の近くに居たことで 色々な海外の情報も入ってきたと思われます。
そういうこともあり 田沼意次の命を受けて国防の調査をしていた
林子平とも交流があったのだと思います。
そして 松平定信が 意次に変わって老中になった時
定信はことごとく 意次の政策を批判し 開明派であった意次を失脚させ
鎖国への締め付けの為に 蘭学始め海外の事を研究する事すら禁じたのです。
それで 林子平が 命がけで調査した本もすべて焼却処分されることになったのでした。
その後、林子平は失意の中で牢の中で亡くなるのですが、
その時 桂川甫周は 本来であれば焼却の憂き目にあう林子平が残した
本を 隠し持つことにしたのです
この中の一冊が 「三国通覧図説」と言う本で
日本は海を通して外国から攻められる危険があると言うことを説いた
内容の本なのです。
詳細に日本周辺の島々まで調査していたのです。
この本を 持ち出したことがばれたら 甫周は 幕府に捕らえられ
死罪になっていたかもしれないのです。
しかし 桂川甫周は 将来日本を救うことになるかもしれない本を
何が何でも守ろうと決意し隠し持っていたのです。
そして この本が 80年後に日本を救うことになるのですが
ペリーが言う 国際的な文献でなければ 国際法上認められないのですから
甫周が持っていたと言うことを証明しても
何ら ペリーに対しての反論にはならないのです。
では
この書はそれからどうなったのか??
甫周はその後この発禁の書をどうしたのか??
日本の運命を関わるこの書の運命は???
それは
明日に続く、、、。