EXECUTIVE BLOG
2022.6.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 縁起モノのはなしから
お相撲さんも縁起が良いと言う話で 力士が四股を踏むのは
「五穀豊穣・無病息災」の意味を持つと言う話でした。
他にも縁起モノの話に進みたかったのですが
相撲の話が出たところで
思い出した話があったので
今日は そちらに進みたいと思います。
相撲好きが多い場所として 土佐が上げられますが
この土佐 江戸時代は 山内家が支配してた場所ですが
関ヶ原の戦い以前は 四国最強と言われていた 長宗我部家が統治していました。
西暦1600年、
いわゆる天下分け目の戦いがあったわけですが、
この戦後の論功行賞で、ほぼ戦闘には参加していないはずなのに、
土佐一国を与えられたのが”妻”で有名な山内一豊です。
それ以前は長宗我部盛親が治めていたのです。
しかし、長宗我部氏は西軍方のため、
土佐を追われ、
代わって治める事になったのが山内一豊なのでした。
山内一豊が土佐に入った時、
かつての長宗我部氏の家臣たちの多くは彼に従うのを良しとしなかったようです。
そこで一豊は築城なども浪人を雇うなどして、彼らに頼らない政治体制を作り上げて行こうとしました。
それでも、長宗我部恩顧の侍たちは
土佐の各地で土佐新政府に対して反抗的な態度をとり続けたのです。
これでは 統治が思うようにも進みませんし いつ反乱が起きるかもしれないと
一豊は考えたのです。
それで 一豊は恐ろしい事を思いつくのでした
土佐の者は相撲が大好きだという事で、これまで争いはあったものの、
古くからの土佐の者と、新参の者たちとが親交を深めるためにも、
桂浜にて懇親相撲大会を催すので、力自慢は必ず出場を、と領内に触れ回らせたのでした。
これに喜んだ旧来の土佐侍達です。
腕っぷしが強い者ばかりですから これで 一豊の家臣たちを投げ飛ばせ 見返せると
考えたのです。
しかし こんな事は百も承知の一豊側、
相撲大会ですからと理由で 力自慢は皆 褌一枚で参加するように通達していたのです。
これであれば 誰も武器を持って来ることは出来ません。
大勢の見物人もこぞって桂浜に集まりました。
さあ これから 相撲大会が始まると思っていた矢先
力自慢の元長宗我部軍の丸腰の部下たちは
公衆の面前で鉄砲で皆殺しにされてしまったのです
何と悲惨な事か。
しかし これにより 見せしめも功を奏して 反乱の機運が無くなって行くのですが
この後の統治の仕方が 他では考えられない事を行いましたね
私は そんな事も知らずに 数年前に高知を訪れた事があるのです
そして 地元経営者達との懇親会を行ったのですが
場も盛り上がり 調子の良い事も言わなくてはと思い
ある言葉を発した時に その私の一言で 凍り付いてしまったのです、、、
私は 意味も分からず 日本人なら誰でも知っている 話をしただけなのに
この マズい雰囲気は何故なんだ?????????と
困惑してしまったことがあったのです
あとで 考えると 絶対にその場では出しては駄目な事だったのです!!!!
一体
わたくしはそこで
何と言ってしまったのか!!!!?????????
長州と会津ではないですが
いまだに ここ 土佐でも!!!!!??????
と思ってしまう事です
その事とは??????????
それは???????
明日に続く、、、、、、。