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社長&顧問ブログ

2023.10.26

森鴎外

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

新幸橋の話から 内幸町の話になり

内幸町で 明治の文豪と呼ばれる 樋口一葉の話になりました。

 

この樋口一葉ですが 戸籍名は「奈津」でした。

本人は「夏子」「夏」「なつ」と名乗ったり自署したりすることが多かったそうです。

 

彼女あまり知られてないかもしれませんが 24歳くらいの若さで亡くっています。

結婚もしてませんので 子孫も居ないと言う事になります。

 

一説によりますと 夏目漱石のお兄様との縁談話があったようで、もしそうなってたら

夏目漱石の義理姉と言うことになっていたのです。

 

これからも 分かるように夏目漱石と同じころに活躍した文壇と言う事になりますね、、。

 

で 芸術の大半はそうだと思うのですが

いきなり大物芸術家になれるわけではないです。

その時代のその分野では著名な人が この芸術は本物だと太鼓判を押されることで

世に出ることになるのです。

では

彼女を見出したのは一体だれだ?? の話に進まなければなりません。

 

「たけくらべ」が1895年に発表された時に 森鴎外を始めとした文化人から絶賛されたのです。

既にこの頃の鴎外は文化人としても評価を受けていましたので 彼が絶賛したことで

一葉は人気作家としての道をようやく歩み始める事が出来たのです、

そしてその後、「にごりえ」「裏紫」など数々の名作を執筆することが出来たと言う事になります。

 

歴史にもしもは無いと言われますが この時森鴎外の目に留まらなかったら

樋口一葉は 世に出なかったかもしれません。

 

所で森鴎外ですが

文豪では有名ですが 陸軍軍医としても有名でした

 

記憶が定かでなく 正しくないかもしれませんが

 

お米が精米されて それで白米ばかり食べていた軍人に 脚気と言う病気が多く

当時 日本と戦ったロシア兵から 日本の兵隊は 脚がよろよろしていると

言われていたそうです

 

いまどき 脚気と言う言葉を知らない方の方がおおいかと思います

これは かっけ と呼びます。

 

最近病院で こんな事するのか分かりませんが

我々が子供時代は 脚を組まされて 医者げ膝のある所を棒で叩くと 脚がぴょこんと

上に跳ね上がるかどうかの検査をしていました。

 

今の何歳くらいまでの人が知ってるのでしょうか??

 

とにかく これで 脚がぴょこんと上がらとなんと判断されるのかと言うと

ビタミンB1不足といわれ 治療されていました。

森鴎外は 東大出のエリートで ドイツに留学して 細菌学を学んでいたので

この脚気は 細菌によって引き起こされる病気だと主張していたのです。

 

しかし 海軍は この事に懐疑的で 海軍の兵隊には 白米中心ではない食料を

与えていて 陸軍は 森鴎外の主張に従い 白米中心の食事にしていたのです

 

それで 日本陸軍の中に脚気の患者が増えたと言われています。

 

医学的にはこのような間違いもあったのでしょうが

森鴎外は 文学的にはかなりの才能があったようです。

 

因みに 森鴎外の住居が 上野池之端に残されていましたが

数年前に 取り壊されると言う事で 私も残念な気でいたのですが

 

なんと その住居が 私の東京の住まいの近くの 根津神社の中に

再現される事になったのです

これを聞いて 少しほっとしている所です。

 

で 話は又戻って

森鴎外に見出された 樋口一葉は その後 どうなるのか????

 

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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