EXECUTIVE BLOG
2023.10.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 新幸橋の話でした
この橋を見つけて その歴史を調べた時に これが 関東大震災で日比谷公園へ逃げる
橋が無かったために多くの人が亡くなってしまい
そのような事が起きないようにと それまでは 幸橋しかありませんでしたが
新たに橋を架けた事で 新幸橋と名付けられたと言う事を知りました
東北大震災の時もそうですが 大きな災害が起きてから慌てて 対策を練って
大津波に対応できる防波堤を造ることになりましたが
それらを早めに想定して 手を打つことが出来ないのかといつも思ってしまいます。
来るか来ないか 分からない事に対しては なかなかお金もかかる事ですし
万が一そういう事がなかったら 無駄使いだと非難される事を恐れるのでしょうね
どこかのダムも 当時の野党がそんなダムは税金の無駄だと反対していましたが
その後 その地区を大豪雨が襲った時に そのダムのおかげで 地域が助かったとか
言う話を聞いた事があります。
1000年に一度の大災害だから 今は必要ないと言う意見もあるでしょうが
その1000年に一度の災害が 今日や明日にでも起きる可能性はあると言う事なのです。
先日も書いた 2025年太陽フレア大爆発も もしかしたら大した被害は出ないかもしれません しかし 科学者が予想している大規模爆発が本当に起きてしまえば
地球上の全ての電子機器が壊れてしまうわけで そうなると 快適に生活できていた
常識が全く変わってしまうのです。
それを想定して手を打つべきか 打たざるべきか これは 非常に難しい判断です。
しかし 議論する必要はあるのではと思いますね
さて 新幸橋の話に少し戻りますが 新があると言う事は ただの幸橋もあるはずだと
思い 探してみました。
この橋と関係あるのか分かりませんが幸橋門跡を発見しました。
1636年に、肥後国熊本藩の細川忠利により築かれたそうです。
しかし現在は、往時を偲ぶものは一切残っていません。
門は1873年に撤去されたそうです。
現在の第一ホテル東京の前辺りにあったと言われていますが、
その場所は現在は山手線の高架と首都高速の入口がある辺りになります。
そこの地下鉄の出入口付近に「幸橋門跡」の名残だけは見つけました。
江戸時代は 将軍家を守るために 多くの門があったようですし
堀にかける橋も沢山かけてしまうと
それだけ攻撃もされやすくなってしまいますね。
それが結果的には関東大震災の時の悲劇となってしますのです。
橋一つとりましても色々な歴史も意味もあるのだと感じてしまいます。
東京は興味を持ってあるいていると 色々なもの気が付きます
この 新幸橋ある山手線のガード下でも
ふと気になる事がありました
それは何か???
は
明日に続く、、、、。