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社長&顧問ブログ

2024.9.5

武鑑

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 井伊の赤備で勇猛果敢な武士団で 江戸時代は 徳川四天王だった

井伊直弼の話でした。

 

ご承知の通り 井伊直弼は 桜田門外の変で暗殺されました

そこで 直弼の首を切り落としたのは 薩摩藩浪士の 有村次左衛門でしたね、、。

 

その事件から 153年後

まさか この二人に関連する出来事が 滋賀県彦根で起きたのです。

 

その内容は????

 

の話しの前に

 

徳川四天王の一人で 大老職に迄ついた 井伊家は 直弼死後 どうなったのか??

にも 興味が湧きますね、、。

直弼死後の井伊家は息子の井伊直憲が継ぎますが、譜代筆頭の地位にあった井伊家は、

その後理不尽な仕打ちを受けてしまうこととなります。

 

桜田門外の変で暗殺された井伊直弼は、その死をしばらく隠され、

のちに病死と発表されたのです。

当時の幕府の決まりでは、大名が殺害されるなどした場合は家名断絶、

領地没収となりますが、井伊家は譜代筆頭であったため、病死とする事にして、

その間に息子の井伊直憲に家督継承が行われたという形をとると言う手段に出たのです。

 

桜田門外の変は 今の 警視庁がある所ですね、

その日は 大名が江戸城に登城する日でしたから  その行列を見る為に

多くの江戸の人が集まっていました。

 

この大名行列用に 今で言う所の大名図鑑とでも言うべき『武鑑』を手にして

 

大名の印である 旗を見ては 次は 何々藩だ とか 流石 何々藩は立派な侍が多いなとか まるで 日本シリーズ後の野球パレードを見る感じで 見ていたのです。

 

そこに 天下の大老 徳川四天王の井伊直弼の行列が来るわけですから 見物人からすれば まるでジャイアンツの選手集団が来るかのように 興奮して見物していたのです。

 

そんな時に 衆人環視の中 薩摩と水戸の浪士が 井伊直弼の籠を襲撃して

籠の外から 刀を突き刺し 中に居る直弼を引き釣り出したのです。

 

この時 引き釣り出したのが 有村次左衛門だったのです。

 

ここで 直弼はこの有村から首を刎ねられるわけですから 当然多くの人の目には

この惨劇が映っていたはずです

一般町人だけでなく 桜田門周辺には 藩邸も多くありますので そのあたりの武士も

この惨劇をめにしています。

 

首を刎ねられて 生きている人はいませんよね

 

しかし 先に書いたように 何故か 直弼は病死と言う事になっていることに

不思議だと思いますよね、

 

幕府の決まりで 死んでからの 相続は許されておらず もし そうなった場合は

お家断絶で 井伊家は取り潰される事になるのです。

 

通常であれば そのような処置が行われたのでしょうが 幕府としても

大老家のお家断絶をするわけにも行きません しかも浪士に襲われて殺されたとなると

幕府の威信が 一気に落ちてしまいますね

 

その為に 何としてでも 病死にするしかなかったのです

これで お家存続も可能になるのです。

 

そこで 幕府は 各大名に 病気だと言う事で お見舞いにも来させるのですが

 

この桜田門外の襲撃を企てた水戸藩へも お見舞いに来るように 使者を送るのでした、

 

水戸藩としても はい 分かりましたと言うのも変ですし

井伊家に出向かなければなりません

 

そこに主君のにっくき敵が来るのです、 当然仕返しもあると思うのが当然です、、

 

水戸藩としても 行けば必ず殺されるだろうと思うはずです

 

この時見舞いに行ったのはだれで どうなったのか???

 

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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