EXECUTIVE BLOG
2022.3.11
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 北海道稚内にある
「9人の乙女の碑」 の話でした。
終戦を迎えた 昭和20年8月15日以降も
ソ連軍は お構いなしに 日本への侵略行為を行っていたのでした。
昨日書いた 9人の乙女も やっと平和になると思っていた矢先に
ソ連軍が侵攻してきた事に驚いていたでしょうし
これから 幸せな人生を送れると思っていたのに 自決を選択しなければ
ならなかった事は 本当に悲惨な話だと思ってしまいます。
何故 戦争が終わったなのにも関わらず 日本軍は戦わなければならなかったのか?
そして 若い乙女たちは命を絶たなければならなかったのか???
それが 今日の話になりますが
ソ連軍が ベルリンの戦いで見せた 非常識な鬼畜ぶりを 彼女たちは知っていたからなのです。
一体ベルリンで 何が起きていたのか??? ですが
ベルリンは 当時 ナチスドイツの首都であり ヒトラー総統が居ました。
このベルリン攻撃は ソ連軍に任されていて 米軍は侵攻していませんでした。
歴史は勝者が塗り替えるものですが この時のソ連軍の行った行為は
とても 許されるものではありません。
それは
ベルリンに向かう兵士に対して 軍部は ベルリンを陥落させたら 後は自由にして良いとの 通達を受けていたのです。
ナチスドイツは悪者のレッテルを張られていますが、 それでも ヒトラー自身逃げ出すことなく 最後まで国民を守るためにベルリンに留まりました。
そして 最後まで抵抗をするのですが
圧倒的な兵員と戦力を持ったソ連軍がベルリンに攻め込んで来たのです。
その 一人一人の兵士は ここを攻略すればなんでもして良いと言われていますから
それは 目の色変えて必死になって攻撃をしてきました。
この時の、ドイツ軍当局の最大の誤算は、
ソ連軍の進撃路のアルコールのストックを破棄しなかったことだったのです。
敵が泥酔すれば戦えなくなるだろうという皮算用だったのですが、
女性住民にとって悲劇的なことに、ソ連軍兵士はまさにアルコールの勢いをかりてレイプし、そのアルコールで悲惨な戦争の終結を祝ったのである。
ベルリンの女性たちは、夕方のソ連軍兵士による「女性狩猟時間」の間、
姿を消すすべを学んだほどです。
若い娘たちは何日もつづけて屋根裏の倉庫に隠れ、母親たちはソ連兵が二日酔いで眠っている早朝をねらって、街路に水くみに出るようにしていました。
ときには、ある母親が自分の娘だけは助けようと必死になって、
よその娘たちの隠れ場所を教えることから、最大の危険がせまることもあったそうです。
窓ガラスがすべて吹き飛んでいたので、夜ごとに悲鳴が聞こえてきたのを、ベルリン市民は覚えていました。
ベルリンの二つの主要病院によるレイプ犠牲者の推定数は、約13万人だったそうです。
ある医師の推定では、ベルリンでレイプされた女性のうち、
その結果死亡した人が一万人前後で、その多くは自殺し
又残った多くの女性は梅毒に罹患したそうです。
驚くべきことに全体では
すくなくとも200万人のドイツ女性がレイプされたと推定されています。
これらの事実は当然 9人の乙女の耳にも入っていました。
自分達が生き残った場合には どのような目に遭うかを知っていたのです。
そのような凌辱に遭うより自ら命を絶つことを選んだのですね。
勝者はいつも情報を捏造しますし 都合の悪い話は隠しますね
そして
この 9人の乙女だけではなく
その後 中国に残った多くの日本人の
身の上にも降りかかるのです
歴史は繰り返すと言われています
まさかとは思いますが このような事が ウクライナでは起きない事を
願っていますが ちらほら似たような話が漏れ伝わっています。
明日は このソ連兵が 日本だった満州でどのような残虐行為を行っていたのか????
そして これらの歴史から学ぶべきことは何なのか???????
は
明日に続く、、、、。