EXECUTIVE BLOG
2022.2.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日まで 話はあちこちに飛んでしまい
いつの間にか
佐賀七賢人の話になっていました。
薩長土肥と言う言葉ある通り 新政府の原動力になったのが
薩摩 長州 土佐 肥前で この肥前が 今の佐賀だという事になります。
我が故郷は 福岡ですが 幕末活躍をしてなかったのか? というと
そうでもなく
一時期 長州が孤立しそうになっていた時に 薩摩との同盟を考えたり
幕府に対しても 長州との提携を進言してたりしていたようです。
長州が過激な 尊王攘夷だったのに対して 福岡は 尊王佐幕の考え方だったようです。
しかし 過激な攘夷論者によって有能な人が殺されたりして
幕末から維新の時に活躍出来なかった気がします。
薩長同盟と言えば 我々は 坂本龍馬だと教えられていますし
今でも 坂本龍馬を尊敬する人が多数居ます。
これらは 司馬遼太郎の史観に影響されているからだと思います。
じっさい 明治時代 坂本龍馬の事など 国民は知りませんでした、
日露戦争の前に 当時の皇后陛下の夢に 坂本龍馬がでてきて
日本を私が救うと 言ったと言う逸話が 当時の新聞に載った事で
国民の知る所になるのですが、
これは 戦争前の国威発揚の記事だったのです。
この坂本龍馬が薩長同盟を唱える前に 既に 唱えていたのが
福岡藩の 喜多岡勇平 と言う藩士だったのでは と私は考えています。
この方は 目的を遂げる前に 偏った考えを持った一部攘夷論者に
よって 暗殺されてしまうのですが、
もし この方が 生きていれば もしかしたら 坂本龍馬よりも
歴史に名を残したのではと思っています。
歴史は 後世の人が評価を下して行きますので
勝てば官軍で 勝った方が歴史を書き換えるとも言われています。
それで 昨日から出ている 佐賀七賢人の 島義勇 や江藤新平は
維新後 新政府に対して異を唱えて 反乱を起こし
佐賀の乱は 明治以降最初の反乱だったと言われているのです。
士族の反乱と言われ 佐賀では 佐賀の乱をおこし
熊本では 神風連の乱が 起きたのです。
神風連の乱は 別名 敬神党の乱とも言われています
そして この時の出来事が
昭和のあの有名な 文豪が引き起こす事件の元になるのですが
この 有名な文豪とはだれか???
彼は 一体何をしでかしたのか???????
それは???????
明日に続く、、、。