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社長&顧問ブログ

2020.12.22

水鏡天満宮

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

福岡出身の 元首相で 広田弘毅の話でした。

 

彼が子供の頃書いた揮毫が 福岡の水鏡天満宮の扁額として

掲げられている話でした。

 

今日は

その水鏡天満宮についての話です

ちょっとその歴史を紐解いてみましょう。

 

右大臣として天皇につかえていた菅原道真は、

藤原時平の讒言により無実の罪をきせられてしまう話は皆さんご存知かと思います

その結果、大宰権師(だざいごんのそち)に任ぜられて、

わずかな供とともに遠い大宰府へと左遷させられてしまうのです。

 

普段見ることのない雲上人がいわれのない罪で嘆き悲しむ様子に、

その土地土地の人々は深い同情をよせたようで、

道真が道中で滞在したという地には、

のちに「天神」「天満宮」が建てらたのです。

 

水鏡神社もその一つです

道真は瀬戸内海を航行中には暴風にあっており、ただでさえ傷心の身に、船が転覆するかもしれないという恐怖まで味わって九州へたどり着いたようです。

現在の博多港についた後は、船を乗り換え博多へ。

そして、今泉という村の付近で川面に映った変わり果てた自分の姿を見た道真は、

悲しみを一層深くしていったといいます。その今泉に建てられた社殿が、

のちに「水鏡天神」などとよばれるようになったそうです。

 

それから数百年後の1612年。

筑前五十二万石に封じられたのが黒田長政です。

まだまだ戦乱の空気が残り、天下泰平とはなっていない時代です。

福岡城の築城にあたり、城の鬼門となる方角、つまり、現在社殿が建っている地に天神様にお移りいただくことにしました。

天神様の強力なパワーで、城の防御を固めるためだったといわれています。

 

黒田家が明治維新をむかえるまで筑前五十二万石を守ってこられたのは、天神様の強力なパワーのおかげがあったからなのかもしれません。

 

福岡の繁華街「天神」の地名は、この神社にちなんだものと言われています。

 

福岡に住んでいながら 知らない事ばかりですね

 

 

明日は

 

神社の続きか?

 

広田弘毅の話になるのか??

 

それは

 

明日に続く、、。

 

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