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社長&顧問ブログ

2024.12.6

永久敵国

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までの話は

日本は 明治になるまで 殆ど外国との戦争をした事がなかったという話でした。

 

ヨーロッパでは 紀元前から 領土の奪い合い的な戦いをしていました。

それに比べて 日本は 平安時代は400年もの間 ほぼ平和な時代で

その後 武士が台頭して 国内での戦いはありましたが

海外での領土の奪い合い的な戦争は経験していませんでした。

 

それが 明治になって 新政府ができ 日清日露戦争が起きるのですが

この時の 政府や軍部は 維新で中心に動いた 長州や薩摩が 主流を

占めていました。

 

平安時代こそ 貴族政治が行われていましたが

その後 武士が台頭した後は 天皇は表に出る事はなく 国を治めたのは

その天皇から将軍と言う 位を頂いた人でした。

 

絶対的な権力を持った 徳川幕府と言えども 天皇を倒す事など毛頭なく

国を治めていました

 

それが 幕末において 薩長が 天皇を前面に立てて戦い 大政奉還を行わせてしまったのです

 

これにより 長らく 陰で日本を支えていた天皇が 表に立つことになったのです。

 

そして 軍部は この頂点に立つ 天皇の名を出せば なんでもまかり通るような

仕組みにしてしまって その傲慢ともいえるやり方で 戦争を始め継続して

いざ 負け戦となった時も 天皇に意見を言わせると言う事で 自分達が傷つくことなく

今度は天皇のご決断だからと言う事で 「承詔必謹」と言う言葉を用いてポツダム宣言受諾したのです。

軍部の言い訳としては 本当であれば 戦争継続で本土決戦を行えば 勝てたのに と

言いたかったようです。

 

「承詔必謹」とは、前にブログでも書きましたが「しょうしょうひっきん」と読んで、

天皇の詔(みことのり)を承り(うけたまわり)、必ず謹んで実行する、

という意味です。

この言葉は、「十七条憲法」に記述されている一節で、「詔(みことのり)を承うけては必ず謹め」と定められている一文です。

つまり 天皇が決めた事は 必ず承らなければならないという事ですが

 

聖徳太子の時代の言葉を 終戦時に政府軍部は利用したと言う事です。

 

これに より 一部過激な青年将校たちの反乱を抑える事になったことは ある意味

良かったのかも知れません

 

このお言葉のおかげで 良いか悪いかは別として、

戦後 占領軍が日本に進駐した際も スムーズに占領政策が進んだのです。

 

世界から見ると ナチスドイツも日本も 独裁国家で危険な国だと言う事などから

平和を維持するために、戦後 国際連合が出来るのですが

国際連合と日本では訳していますが 昨日書いたように 元の言葉は United Nations です。

直訳すれば 連合国と言う事ですね

 

つまり 連合軍が作った組織なのです。

 

それで 日本やドイツが再び再軍備して彼らからすると悪さが出来ないようにと言う意味で

敵国条項なるものを 規約に中に盛り込んだのです。

 

国連の「敵国条項」を簡単に要約すると、

「第二次大戦中に連合国の敵国だった国が、第二次大戦で確定した事項に反したり

侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、

安保理の許可がなくても当該国に対して軍事制裁を科すことができる」

というものです。

つまり、敵国条項に該当する国が起こした紛争に対して、

国際連合加盟国や地域安全保障機構は、自由に軍事制裁を下す事が認められているのです。

 

さらにこの条文は酷い事に

敵国がどうすれば「敵国でなくなるのか」については明記していません。

 

これはつまり、「第二次大戦中に連合国の敵国だった国」は永久に敵国であり、

旧敵国の起こした軍事行動に対しては、平和的解決も話し合いも必要なく、

軍事的制裁を下すことが「国連」によって認められているということになるのです。

 

と言う事は、、、、、

 

あそこの問題も 大変な事になるかも、、、

 

の話は?????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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