EXECUTIVE BLOG
2023.6.27
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 田沼意次が 北海道を何故開拓をしたかと言う話でした。
林子平が研究した事で
鎖国をしていて島国であっても 海を越えて ロシヤから侵略される恐れがあると
の危機感から 開拓を急いだと言う話でした。
鎖国さえしていれば侵略はされないと言う考えは
今で言う 憲法9条があれば 日本は安全だと言う考えに似ていると思ってしまいます。
現在の ウクライナや台湾の事に目を向けてみても それで安心だとは言いきれないのではと思います。
林子平が心配したことが それから 約80年後に 黒船を従えてペリー艦隊がきましたし
約160年後には ロシヤが北方領土に攻め込んで来ました。
単純に80年周期だと考えると
次は 2025年に何か起きるのでは??? と勝手に心配していますが
実際 現在の ロシヤ 中国 北朝鮮の事を考えてみますと 安心してて良いのかと
思ってしまいます。
で 今日は 北海道と 九州沖縄に関する話になります。
一見 北海道と九州は遠く離れていて何も縁を感じないのですが
調べてみますと色々な縁があるのです。
沖縄県の那覇から北に約2500キロに位置する北海道枝幸町と言う所があります。
そのオホーツク海に面する北国の町に「沖縄」と名が付く川が流れているのです。
そこに有る橋の欄干には「沖縄の沢川」と書かれているのです。
なぜ北海道に沖縄が? と思ってしまいます。
「沖縄の沢川」があるのは、枝幸町にある旧歌登町地域です。
歌登町は2006年に枝幸町と合併し廃止された山あいの町で、
川はこの地域をひっそりと流れているのです。
周囲に民家はないのですが、川に架かる橋には何故か「沖縄の沢川」の文字が記されているのです。
調べてみますと
九州・沖縄地方から北海道移民は、
熊本県や福岡県からの開拓移民や移民団が有名だったのですが、
実は沖縄県も北海道移民があったのです。
第2次世界大戦当時宗谷岬防衛や道北防衛のために駐留していた部隊の出身者で九州・沖縄出身者が多数いたそうです。
終戦の後に復員という形で多くの兵士が出身地に戻ったのですが
悲しい事に、沖縄県出身者だけは沖縄が米軍統治になったので戻れなくてやむなく当時の歌登地域に開拓入植したそうなのです。
だから橋の名前に出身地である「沖縄」を入れた「沖縄の川橋」なる橋があると言うわけです。
かなりの 僻地ですし極寒の地に入植した沖縄の人達はどれほど苦労をしたのか???
と思ってしまいます。
彼らの子孫は その地に残っているのか???は 私には分かりませんが
機会あれば調査に行ってみたいと思います。
調べれば色々苦労話も出て来るのかもしれません。
他にも 北海道に九州との縁を感じる所があります
札幌市内のあの場所に
堂々と 九州人が!!!
あの人は誰??????
は
明日に続く、、、。