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2025.10.27
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 東京で行われている 運慶展の話しから
運慶やその仏像の話しでした。
今日は 今 九州国立博物館で「法然と極楽浄土」が開催されているので
その話しに進みます、、、。
法然は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した日本の僧侶で、
日本仏教の中でも「浄土宗」を開いた人物として知られています。
西暦で言えば1133年から1212年の生涯を生き、
今の岡山県美作地方に豪族の子として生まれました。
幼いころの名を勢至丸といい、父の漆間時国が戦乱の中で命を落とした際、
「敵を恨んではならない。仏道を志して人々を救う道に進みなさい」
という言葉を残したと伝えられています。
この父の言葉が勢至丸に大きな影響を与え、やがて仏道を志す決意へとつながりました。
勢至丸は十三歳で比叡山延暦寺に入り、天台宗の学問と修行を始めます。
最初は源光という僧に学び、次に叡空という慈眼房の僧に師事しました。
叡空は若き勢至丸の資質を見抜き、「法然房」という房号と、「源空」という名を与えました。
これが後の法然上人、正式には「法然房源空」と呼ばれる由来です。
比叡山での修行を積む中で、法然は仏教の膨大な経典を学びましたが、
やがて一つの疑問に行き当たります。
それは「煩悩の深い凡夫である私たちは、厳しい修行をせずして救われる道があるのか」
というものでした。
当時の仏教は出家や戒律、学問や座禅を重んじる教えが主流で、
一般の人々には難しいものでした。
そこで法然は、誰もが平等に救われる道を探し求め、さまざまな宗派の教えを学び直します。
その中で法然は、中国唐代の高僧・善導大師の『観無量寿経疏』という書物に出会いました。そこには「一心に阿弥陀仏の名号を称え、常に止めず念仏を行えば、必ず救われる」
と記されており、法然はこれを読んで深い感銘を受けました。
「身分や学問や力の有無に関係なく、誰でも念仏を唱えるだけで阿弥陀仏の慈悲に包まれ、極楽浄土に往生できる」
これこそが人々を救う唯一の道だと確信したのです。
こうして法然が説いた教えが「専修念仏」です。
専修念仏とは、数ある修行の中から念仏だけを専らに行うという意味で、
「南無阿弥陀仏」と称えることを最も大切にする教えです。
人間の力(自力)ではなく、阿弥陀仏の本願(他力)にすべてを委ねることで、
誰もが救われるという考え方でした。
法然は
「この世の人々は煩悩深く、修行や学問を積むことは難しい。
だからこそ、阿弥陀仏の慈悲の力に頼るべきだ」
と説きました。
これまでの仏教は、高僧や修行者中心の教えでしたが、
法然は農民や庶民、女性や罪人までも含め、すべての人が救われる道を開いたのです。
そのため、彼の教えは急速に広まり、多くの人々の心をつかみました。
時代背景にも大きな要因がありました。
鎌倉時代の初めは戦乱や飢饉、地震などが続き、人々は不安な毎日を送っていました。
「末法の世」と呼ばれ、仏教の力が衰えたと信じられていた時代、
人々は誰もが安心して救われる教えを求めていたのです。
法然の念仏は、まさにその心に応えるものでした。
法然はまた、「大原問答」と呼ばれる出来事でも知られています。
これは比叡山の僧たちが法然を問いただした会合で、
「念仏だけで本当に救われるのか」という議論が交わされました。
法然は
「今の時代の人々には難しい修行は不可能であり、
ただ念仏を唱えることこそが確実な救いの道である」
と答えました。
この論争によって法然の考えはさらに世に知られるようになりましたが、
同時に多くの批判も受けました。
伝統的な僧侶たちは「念仏だけで救われる」という教えを軽んじ、
仏教の堕落だと非難しました。
弟子の中には教えを誤って解釈し、社会的な混乱を引き起こす者も現れたため、
朝廷は1207年に法然を讃岐に流罪とします。弟子の親鸞も一緒に流されました。
しかし法然は流刑の地でも信者たちに教えを伝え続け、
「どんな境遇でも念仏の心さえ忘れなければ救われる」と励まし続けました。
その後赦され、京都に戻った法然は、
東山の吉水で多くの人々に念仏を教えながら生涯を終えました。
1212年、79歳で往生を遂げたと伝えられています。
法然の教えの中心は、
「阿弥陀仏の慈悲に身をまかせ、ただ念仏を唱えるだけで誰でも極楽に行ける」
という信念です。
知識も身分も関係なく、すべての人が平等に救われるというこの考えは、
日本の仏教を大きく変えました。
難しい修行を必要としないこの教えは、庶民の信仰として全国に広がり、
やがて弟子たちによって多くの浄土系の宗派が生まれていきました。
親鸞の浄土真宗、一遍の時宗なども法然の教えを源にしています。
法然が生きた時代は、人々の価値観が大きく変わる時代でした。
貴族から武士の時代へと移り、宗教もまた新しい形を求めていました。
そんな中で法然は、
宗派や地位を超えて「人は誰でも救われる」という普遍的な希望を示したのです。
今回福岡で開催されている「法然と極楽浄土展」では、
法然の生涯や教えをもとに、
極楽浄土の世界を美術や経典を通して感じ取ることができます。
念仏という言葉に込められた思いを理解すれば、展示される仏像や絵画の一つ一つが、
ただの宗教美術ではなく「すべての人を照らす光」として見えてくるでしょう。
法然は学問の僧でありながら、
最後にはただ「南無阿弥陀仏」と唱えることにすべてを託しました。
それは、理屈を超えた信頼の心、人間の弱さを包み込む慈悲の教えでした。
どんな人も、どんな時も、念仏を唱えれば阿弥陀仏が必ず迎えに来てくださる
それが法然の説いた極楽往生の道であり、今も多くの人々の心に生き続けています。