EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2024.7.26

浅草神社

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 浅草の話しで

雷門の提灯がぶらさっがっている門の事を山門と言う話で

一方 神社の方は 楼門と言うと言う話でした。

 

大体大きな門には 武将の像が置かれています、

その場合 神社だと 随神と呼び お寺だと 随身 言うのです。

 

お寺と神社 一見 違う宗教なので いがみ合うのかと思いきや

並存しているのが日本の文化ですね

 

こんな精神を持ち合わせていれば イスラムとキリストも仲良くできると思うのですが

宗教戦争にまで発展してしまうのが 我々にしてみたら不思議な所です

 

イスラムの神も キリストの神も 同じ神様なので

兄弟げんかをしているだけ と私は思ってしまうのですが

 

そうは 行かないお家の事情があるのでしょうね、、。

 

浅草神社と浅草寺は別物だと言うことなんですが、

しかし、浅草神社と浅草寺には切っても切れない縁があるのです。

 

雷門をくぐり仲見世通りを抜けた先に見えてくる浅草寺から、

さらに右に進むと浅草神社が姿を現します。

浅草寺には 立派な山門がありますが 浅草神社には 楼門はありませんね、、

記憶が正しければ、、。

 

浅草神社の歴史を知るうえで欠かせない存在なのが浅草寺で、

なぜ浅草寺が関係しているかというと、

浅草寺を建てるきっかけになった3人の郷土神が浅草神社に祀られているからと言う事を

前のブログにも書きました。

 

浅草寺ができた後、3人の子孫が聖観世音菩薩から夢の中でお告げを受けます。

その内容は、「聖観世音菩薩を浅草寺に祀った3人の功績は称すべきものだから、浅草寺の傍らに3人を祀った三社権現と建てなさい。」というものでした。

 

これにより、浅草神社の起源である「三社権現社」が創建されたと言う事なのです。

 

それで 浅草三社祭りと言われていると言う事になります。

 

それから、浅草神社の社殿の裏手を回ってみますと

そこに「被官稲荷神社」があります。

いわゆる浅草神社の末社として、浅草神社の境内に祀られているのです。

 

1854年、町火消しの頭であった新門辰五郎の妻が重病を患った際、

京都の伏見稲荷神社に祈願すると全快しました。

翌年そのお礼を込め、

伏見稲荷から祭神の分身を迎え入れて創建されたのが被官稲荷大社なのです。

 

先日書きましたこれが 勧進 と言う事になります。

 

被官稲荷神社という名称の由来は不明なのですが

官を被るということから就職や出世のご利益があるとされていて

就職を前にした学生や 会社での出世を願うサラリーマンがよくお参りされています。

 

しかし ここで 不思議に思う事があります

火消と言う 一町人が この場所に新たに神社なんて建てる事ができるのか??

と言う事です。

 

なぜ この新門さんはこのような事ができたのか???

 

それは??????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

 

次の記事へ
前の記事へ