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社長&顧問ブログ

2019.7.17

炭鉱と菓子

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

 

昨日からの続きですが

 

山笠と体育の時の発声が関連しているのではないかなど

 

色々思いが浮かぶのですが

 

そういえば 福岡県には 饅頭屋さんが多くあるのです。

 

なぜかなと考えた時に

 

それは 炭鉱と関係しているのではと思いました。

 

最近の方は 殆どが知らないと思いますが

 

福岡県は その昔炭鉱で栄えた県でした

 

特に筑豊と呼ばれる地区は 多くの炭鉱が存在して

日本の経済を支えていたのです。

 

今でいえば 産油国みたいな感じです。

 

しかし そこで 働いていた方の苦労はあまり知られていないのではと

思います。

 

筑豊に田川と言う町があるのですが

 

そこにある博物館に行くと当時の様子を知ることができますよ。

 

 

当時炭鉱で働く姿は 男性は、ふんどし1枚。女性は、上半身裸。

 

お風呂は、混浴だったそうです。

 

 

 

 

 

 

当時の炭鉱夫の多くは入れ墨をしています。

 

いまでは 入れ墨と言うと 悪い人の印みたいな感じになっていますが

 

炭鉱夫は 自分の威勢のために彫っていたのではないのですよ、

 

それは、まっくらな中で働くので

 

入れ墨の文様で誰かを判別していたのだそうです。

 

 

真っ暗で熱く重労働です。

 

ガス爆発が起こると

 

一度に数百人の労働者たちが命を落としました。

 

現在も植物状態の人もいるということです。

 

炭鉱で働く夫を持つ妻は

 

毎日無事に帰ってくるのか心配していたと聞きました。

 

炭鉱夫の入れ墨は 爆発事故などで体がバラバラになったときに

身元を判明するための手段だったのですね。

 

そして その炭鉱の町に

なぜ お菓子屋さんがたくさんできたのか?

 

さかえ屋、チロリアンの千鳥屋、チロルチョコの松尾製菓、

 

四宮の成金饅頭、ひよ子など

 

全国でおなじみのお菓子ではありませんか。

 

 

 

 

 

 

---『なぜ、筑豊にお菓子の会社が多いのか?』---

 

それは、炭鉱があったからなんですね。

 

「炭鉱で働く人たちは重労働なため、甘いものがほしくなるんだよ。」

 

と言うことなんです。

 

 

博物館で質問すると

 

炭鉱で働く人たちはお金を持っていて

 

子どもたちのためにお菓子を買っていたんだそうです。

 

 

過酷な重労働の中に

 

あたたかい人と人のふれあいが伝わってきました。

 

私たちの物流業界も今でこそ 機械化されてますが

 

昔は 重労働だったのです。

 

そこで

 

どうやって 楽しさを見つけて行ったのか

 

ここで やっと本編に戻れますね

 

 

続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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