
EXECUTIVE BLOG
2026.1.4
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
正月になると、かつては町のあちこちで当たり前のように見かけた風物が、
近年ではほとんど姿を消しています。
その代表格が獅子舞です。
太鼓や笛の音とともに家々を回り、
子どもが少し怖がりながらも頭を噛んでもらう光景は、
今や懐かしい記憶の中のものになりつつあります。
獅子舞は単なる余興ではなく、もともとは悪霊を祓い、疫病や災難を遠ざけ、
その年一年の無病息災と五穀豊穣を願う神事的な意味を持っていました。
獅子が人の頭を噛むのは「噛みつく=神付く」との語呂合わせから来ており、
神様の力を授かる行為と考えられてきました。
正月という新しい年の始まりに、目に見えない穢れや不安を払い清めるための、
大切な儀礼だったのです。
獅子舞が各地で姿を消していった背景には、都市化による地域共同体の希薄化や、
担い手不足、騒音や安全への配慮など、現代社会ならではの事情がありますが、
その奥には「家々を回って祝福を分かち合う」という文化そのものが
日常から遠ざかった現実があるとも言えるでしょう。
同じように、最近では見かけなくなった正月の風物は他にも数多くあります。
たとえば門松です。
門松は年神様が降りてくる際の目印、いわば依り代として家の門口に立てられてきました。松や竹に宿る生命力に年神様を迎え、一年の繁栄を願う意味が込められていましたが、
集合住宅の増加や管理規約の問題、簡略化志向によって、
玄関先に門松を立てる家は年々減っています。
しめ縄も同様で、本来は神聖な領域と俗世を分け、
災いの侵入を防ぐ結界の役割を果たしていましたが、
今では神社や一部の家に限られる存在になりました。
また、正月の凧揚げや羽根つきも、かつては子どもたちの代表的な遊びでした。
凧揚げには空高く上げることで厄を遠ざける意味があり、
羽根つきには羽子板で厄をはね返すという願いが込められていました。
しかし、電線や住宅が密集した環境では危険とされ、遊び場の減少も相まって、
正月ならではの屋外遊びは姿を消しつつあります。
さらに、若水汲みや初若菜摘みといった風習も、
今ではほとんど意識されなくなりました。
若水汲みは元日の早朝に井戸や清水から水を汲み、
その年最初の水として神仏に供えたり雑煮やお茶に使ったりする行為で、
清浄な力を体に取り入れる意味がありました。
初若菜摘みも、春の生命の芽吹きを体に取り入れて長寿を願う行事でしたが、
生活様式の変化とともに、自然と直接向き合う時間そのものが減っていきました。
これらの風物に共通しているのは、正月を単なる休暇やイベントではなく、
「一年の運命を整える節目」として捉えていた点です。
自然の力、神仏の加護、地域や家族のつながりを重ね合わせながら、
新しい年を迎えるための心の準備を、目に見える形で行っていたのです。
しかし現代では、効率や利便性が優先され、行事は簡略化され、意味よりも形だけ、
あるいは形すら省かれることが増えました。
その結果、獅子舞や門松のような風物は
「なくても困らないもの」として日常から外れていきましたが、
それは同時に、年の始まりに立ち止まり、
自分や家族、地域の在り方を見つめ直す機会を失っているとも言えます。
見かけなくなった正月の風物を振り返ることは、単なる懐古ではありません。
そこに込められていた
「穢れを祓い、整えてから前に進む」「一人ではなく皆で新年を迎える」
という価値観を、
現代の生活の中でどう生かすかを考えるきっかけでもあります。
たとえ獅子舞が来なくなっても、門松を立てなくても、
年の初めに感謝と祈りの心を持ち、自分の生き方を静かに整える時間
を持つことはできます。
正月の風物が姿を消していく今だからこそ、
その文化的背景に目を向け、形を変えて受け継ぐ知恵が、
私たちに求められているのではないでしょうか。