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2025.9.9

現人神

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 天皇陛下が人間宣言をしたと言う話でした。

 

今日は そもそも現人神とは何か? の話に進みます、、、。

 

太平洋戦争が終わって日本は敗戦国となり、GHQによる占領政策が始まりました。

その中で大きな焦点となったのが天皇の扱いでした。

 

戦争の責任をどう問うのか、

そして国民にとっての天皇の存在をどう変えていくのかが重要な課題となったのです。

 

その象徴的な出来事が昭和二十一年一月一日に発表された昭和天皇の

「新日本建設に関する詔書」、いわゆる「人間宣言」でした。

 

現代の私たちにとっては、

天皇もまた私たちと同じ人間であるということは当然のことのように思えますが、

戦前の日本では天皇は「現人神」と呼ばれる存在であり、

単なる人間以上の意味を持っていました。

 

現人神とは、神が人の姿をとってこの世に現れた存在を意味します。

古代の神話において天皇は天照大神の子孫とされ、

神の血を受け継ぐ存在と考えられてきました。

 

奈良時代や平安時代において天皇は祭祀を司る大祭司としての性格を強く持ち、

宗教的権威と政治的権力を一体にした存在でした。

その伝統は明治時代に復活し、明治憲法では天皇が統治権を総攬する存在とされ、

「神聖にして侵すべからず」と規定されました。

 

国民は教育勅語を通じて天皇への忠義を学び、

修身教育や学校行事でも天皇の写真に頭を下げ、玉音放送の声に耳を澄ませ、

まさに人間を超えた存在として仰ぎ見るように育てられました。

 

そのため国民にとって天皇は現実に生きている神であり、

現人神という言葉が自然に使われていたのです。

 

この現人神の概念を強固にしたのは国家神道の仕組みでした。

伊勢神宮を頂点とした祭祀体系は国と天皇を一体のものとし、

国民は祭礼や儀式を通じて天皇を神聖な存在として体感させられました。

 

さらに軍隊では「天皇の赤子」と呼ばれるように、

兵士たちは自らの命を天皇に捧げることを当然とする教育を受けました。

 

出征する兵士が家族に別れを告げる際にも

「天皇陛下のために戦ってまいります」と口にするのが常であり、

国民はそれを疑うことなく受け入れていました。

 

ところが敗戦によってその構造は大きく揺らぎました。

戦争責任を追及する連合国の中には、

昭和天皇を戦犯として裁くべきだという強い意見もありました。

 

しかしマッカーサーは天皇を処刑すれば国民の統治が不可能になると判断し、

むしろ天皇を利用して占領政策を円滑に進めようと考えました。

 

そこで天皇を「現人神」から「国民と共にある人間」へと位置づけを変える必要が生じ、

そのために人間宣言が出されたのです。

 

人間宣言の詔書の中で特に注目されたのは、

「朕と国民との関係は、神話や伝説によって基づくものではなく、

相互の信頼と敬愛によって結ばれてきた」という一節でした。

 

この文言は、天皇が自らの神格を否定し、

国民との関係を人間同士の絆として語ったものと受け止められました。

 

つまり戦前までの「現人神」という絶対的で神秘的な存在から、

「人間として国民と共に歩む天皇」への転換が示されたのです。

 

直接「私は人間である」とは言っていませんが、

神話や伝説に基づく支配を否定したことは、

現人神という考え方を事実上否定したものに他なりませんでした。

 

なぜわざわざこのような宣言が必要だったのかといえば、

戦前の教育と社会構造の影響があまりにも強固だったからです。

長年にわたり現人神として崇拝してきた国民の心に区切りをつけ、

戦後の民主国家としての歩みを始めるためには、

天皇自らの口からその言葉を発する必要がありました。

ここに人間宣言の大きな意味がありました。

 

しかし国民の意識がすぐに切り替わったわけではありません。

戦後の天皇巡幸では沿道に人々が集まり、

天皇のお姿を拝むだけで病気が治ると信じる人まで現れました。

 

つまり人間宣言は理念上の転換点ではあっても、

国民感情の深層に残った現人神的な信仰を完全に消し去ることはできなかったのです。

 

それでもこの宣言を通じて天皇は国家の権力者から象徴的存在へと変わり、

日本国憲法における象徴天皇制の基盤が築かれました。

戦前の現人神としての天皇は国民に絶対的な忠義を求める存在でしたが、

戦後の人間宣言を経た天皇は国民と共にあり、

国民の信頼と敬愛を基盤とする存在へと変わったのです。

 

現人神と人間宣言を対比することで、その違いはより明確に浮かび上がります。

 

現人神とは神が人として現れた存在であり、

戦前の日本では教育や宗教、軍隊を通してその観念が国民の精神に深く根付いていました。それに対して人間宣言は、天皇が神ではなく人であることを示し、

国民と同じ立場で共に未来を築くという決意を表したものでした。

 

この転換は日本人の精神史における大きな節目であり、

軍国主義から民主主義へと向かう象徴的な第一歩となったのです。

 

現代の私たちが天皇を自然に人間として受け止められるのは、

この人間宣言があったからであり、

その背後にはGHQの意向と昭和天皇自身の決意が重なっていました。

人間宣言は単なる詔書ではなく、

日本の歴史における天皇像を根本から変えた画期的な出来事だったのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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