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社長&顧問ブログ

2023.5.15

琵琶湖を模した不忍の池

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 普段何気なく通っている不忍の池の歩道横に

ある僧侶の銅像を見つけたと言う話でした。

 

意識していないと 見えてるはずのモノも目には留まらないのですね。

 

 

先日から神仏習合の話を書いていたので、 神道、仏教に意識があったので

僧侶の銅像を見た時に 興味が湧いてきたのでした。

 

この銅像が誰だったのかの前に

 

不忍の池はもともと 寛永寺の一部だったもので その後 上野恩賜公園になって

この池も公園の一部として整備されたのです。

 

しかし 何故ここを 不忍と言うのかにも興味が湧きますし 何故不忍の池の中に

弁天様が祀られているのかにも興味が湧いてきます。

 

不忍とは そのまま理解しますと、「耐えられない」 「我慢できない 」

と言う意味になりますが

何か この池の謂れとして 耐えられない事でもあったのか??と思ってしまいます。

 

当たり前の事を当たり前と思わずいると 色々な事に興味が湧いてきますね、、

 

で 何故不忍の池と言う名前になったのか?? ですが

 

そもそも、寛永2(1625)年、上野に東叡山寛永寺が建立された時に

寛永寺を比叡山延暦寺に、この不忍池を琵琶湖に見立て、

竹生島を模倣した小島を築いて弁財天を祀り、京都のような配置を再現したのですが

その時に

上野が忍ヶ岡と呼ばれていたのに対して、ここを「不忍池」と命名した、

とするのが第1の説。現在最も有力な説とされているそうです。

 

もう1つが、池の状態を表していたという説があります。

昔、この辺りには茅やススキが生い茂っており、

道の境すらよく分からないのに池だけがはっきり見えたため、

「忍ぶことができない」という意味で名付けられたのだという説もあるようです。

 

もともとの由来は私には分かりませんが、

湖畔には台東区立下町風俗資料館があったり、

近くにはホテルや飲食店・風俗店なども軒を連ねる現在のエリアの事を考えますと、

「忍べない」という表現がよく似合う場所になっていると思ってしまいます。

 

今や繁華街の一つである上野の町からはあまり想像できないのですが、

不忍池は昔、海だったのです。

東京湾の入江だったものが次第に後退して陸地化して池として残ったのだそうです。

池が形成された時期は平安時代ごろとも室町時代とも言われています。

 

このように 地元の事でも知らない事ばかりですが

今回は 僧侶の銅像がきっかけに なんでだろうと思う事から

色々な発見に繋がるのですが

 

話は この僧侶のことでした、、、、

 

では この僧侶の銅像の元になった人物とは?????

 

 

それは????

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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