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社長&顧問ブログ

2023.8.19

生きて虜囚の辱めを受けず

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 終戦の日の 一部陸軍の若手将校によるクーデターの話でした。

最後まで 聖戦貫徹を叫び ポツダム宣言を絶対に受諾しないと考えた

陸軍参謀本部の将校により企てわれましたが

それまで 若手将校の意見に耳を貸す軍人も居ましたが

一旦ご聖断がおりるや 承詔必謹で 末端の殆どの部隊が武装解除に応じたのでした。

 

この事を見たマッカサー他連合国側は 戦後の占領統治作戦において

天皇陛下の立場を利用しようと考え

極東軍事裁判においては 天皇陛下を起訴しないように動いたと言われています。

それで裁判では 東条英機ほかに戦争責任を押し付けた格好になりましたし

A級戦犯たちもそれに反論せず受け入れた感があります。

 

終戦の日が お盆の 八月十五日に重なったのは これも連合国側の陰謀かと言う説もあったようですが これは 単に ポツダム宣言受諾からするとこの流れになったことのようで 特別の意思は働いてないようです

 

連合国は 日本の 建国記念日に戦犯を逮捕し 天皇誕生日に死刑判決をだし 当時の皇太子の誕生日の日に絞首刑にしたように

日本の特別な日に合わせている気がしますが、 流石にお盆と終戦の日は

この流れではないようです。

 

昨日から書いたように 軍隊は命令で動くもので それは絶対に守らなければならない規律でした。

 

東条英機が終戦末期に訓示した 生きて虜囚の辱めを受けず と言う訓示も

命令と受け取られ 捕虜になるくらいなら死を選べと言う事で

硫黄島の戦いで 弾薬が尽きて戦う事が出来なくなった兵士は捕虜となる事より

自決した兵士が殆どでしたし 沖縄戦では 民間人の女学生までが飛び降り自決をした

悲しい出来事がありました。

 

今の方は殆どが知らないと思いますが

日本には昔 スパイ養成学校がありました。

 

それが 陸軍中野学校です。

 

諜報活動が主な任務だったそうで ここの出身者はエリートばかりだったようです。

 

戦後約30年も経って 多くの国民が 戦争の事を忘れた頃

突如 世間を驚かせた出来事がありました。

 

それで 陸軍中野学校の名前がクローズアップされました。

 

戦後30年も経って 何故中野学校がクローズアップされたのか????

 

の話は

 

明日に続く、、、。

 

 

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