EXECUTIVE BLOG
2022.2.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 紀元節の話から 学校制度の話になり
明治5年に 日本で初めて小学校が出来たと言う話になりました。
そこで 私が入学した 千代田区立番町小学校の話になったのですが
改めて 見てみますと 東京の区立小学校の御三家の一つだったとは
最近まで知りませんでした。
小学校の頃 学校名を聞かれて 番町小学校だと答えると
当時の大人たちが 「番町 麹町 日比谷 東大」 だなと
よく言われていたのです.
それは 区立番町小学校を卒業すると 同じ校区の 麹町中学校へ進み
そして 同じく同じ校区にある 都立日比谷高校へ進学し
この 日比谷高校からは 昔は東大へ進学する人が多かったので
「番町 麹町 日比谷 東大」 と言う流れがあったからだと思います。
しかし
実際は 私は 途中から福岡でしたし 名門都立高校にも進学できませんでしたし
超名門の東京大学等 受験する資格もないほどでした。
それでも
「昔は 東大で遊んでいました」 なんて事を言うと、
知らない人が聞けば 東大の学生だったの?と
勝手に勘違いしてしまう人もいました。
しかし 実際に
自宅が東大本郷校舎の側でしたから
小学生時代は 東大講堂や三四郎池辺りで実際遊んでいたのですから
決して 嘘をついている訳ではないのです。
まあ そう勘違いをさせてしまうほど
番町小学校と言うのは 一つのブランドなんだと
改めて思ってしまいます。
ところで
なぜ 千代田区に番町と言う地名があるのか? と思ってしまいますね、
番長ではなく番町です。
東京を知らない人に 番町小学校というと 嫌な顔をされていましたが
これはその人が 勝手に 番長小学校と勘違いをして
ガラの悪い生徒が通う学校だと思い込んでしまったからではと思います。
しかし
こちらの「番長」もいつから使われているのか??にも疑問が湧きますね
我々が 中学 高校時代には
「あいつは ○○中の番長だった」 とか 「○○高校では番長張ってた」 とか
よく使っていました。
不良の代表の事を 番長と使っていた気がします。
こちらの 番長なんですが
実際は 不良グループのリーダーではなく、
古代の日本で使われていた制度から来ている言葉なんですよ。
古代日本で「番」は交代制勤務の各勤務を意味していたのです。
現代で言えば、当番の番なんですね。
律令制下の番長は、
集団で一斉に交代する際の一つの集団の長で、
様々な役職について番長が任命されていたのです。
延喜式と言う資料には
左右の近衛府・衛門府・兵衛府に数名の番長役が設けられていたことが記されているそうです。
中学校や高等学校の不良少年の「リーダー格」を指す語として使われたのは、
20世紀になってから生まれたようです、
ただ、旧日本陸軍にも「当番長」という役があったそうなので、
そこから派生した言葉であるという説もあるそうです。
今の時代 番長は死語なんでしょうか???
と言うことで
またまた 話が逸れて 番町から番長の話になってしまいましたが
話を戻して
千代田区番町は 何故 番町なのか??????
については
明日に続く、、、、。