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社長&顧問ブログ

2021.6.18

疎開道路??!!

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

本来であればITコンテンツの話をしなければならなかったところから

ディズニーランドにおける感動話とかに話が逸れてしまい

さらに 6月と言えば 沖縄では6月23日が終戦記念日になると

言う話から 戦争の悲惨な話へと展開してしまいました。

 

我々世代は 祖父母や両親が戦争体験者でしたので

直接 戦争の悲惨な話を聞かされていました

映画にあるような かっこ言い話などは無く 本当に戦時中は辛ったようです。

 

こういう話を直接聞ける我々が今度は 後世に伝えて平和を訴え続けなければ

ならないのではと思うのです。

 

ここで 沖縄のひめゆり部隊の悲惨な話 や 東京大空襲における話

又 終戦を過ぎたのに侵攻してくるソ連兵に対する北海道の逓信局での話とか

挙げればキリがありません

 

一旦ここは 少し話を戻して

私が 街を歩いていて発見した標識の話をしたいと思います。

 

普段我々が生活している街には 色々な道路が通っています。

 

東京であれば 青山通り 不忍通り 本郷通りがありますし

 

福岡であれば 明治通り 大正通り 昭和通り 国体通り等です

 

これらの標識のおかげで迷わず目的地に行けるのですが

このような 大通りだけでなく 裏通りまで 通り名がついていますね

 

あまり小さい通りだと気にもしてなかったのですが

 

ある日 ふと道路標識をみてみますと

そこに書いてあった通り名が

「疎開通り」 と書いてあったのです。

 

なんだ 疎開通りとは??とは と一瞬戸惑いました。

 

令和になる時代に 疎開通りとは何故と思ってしまったのです。

 

私は 疎開と言う言葉を知っていますが 今の若い方々は 疎開と言う言葉

そのものを知らないのではと思います。

 

これは戦時中の言葉で 敵の攻撃が市中に及ぶようになったときに

町や人を 安全な場所へ避難させるための言葉だと考えて良いかと思います

 

思い浮かべるのが学童疎開と言う言葉です

都市部は敵の空襲を受けやすいので 学童たちを空襲が来ない田舎へ疎開させて

そこで勉強させる時に使っていました。

この時 自分の両親とも離れ離れになるので もしかしたら 疎開後に家に帰ってきたときには 家も無くなり親も亡くなっていたという事も多かったようです。

 

その時の子どもたちの心理的ショックは如何ほどだったかと思ってしまいます。

 

また 残された親たちも 強制疎開と言う名のもとに 敵の焼夷弾で辺りが火の海になる可能性があるという事で 住宅を間引きして道路の幅を広くするために 軍部の命令で

一方的に立ち退きを命ぜられ 着の身着のままで追いやられてその後軍隊が来て 一気に家屋を潰してしまい そこに道路を作ってしまったのです。

 

私が散歩の時に発見した 「疎開道路」 とは この強制疎開によりできた道路名だったのです。

そこで その町に住む 高齢の方に話を聞いてみますと ある日突然軍隊が来て住民を立ち退かせそこに広い通りを作ったというのですが

 

現代の感覚であれば 、替地を頂いたり 補償金を頂けると思うのですが

一切保証もなく立ち退きをさせられてしまったと言うのですから

今思えば こんな理不尽な話はないと思うのです

 

こういう事も戦争が起きてしまうと それが常識の様になってしまうのですから

本当に恐ろしい話です。

 

こういう出来事を忘れないためにも そこに通り名として「疎開通り」として

名称を残したのではと思います。

 

のんびり散歩の時に見つけた通り名から 戦争の悲惨さを感じ平和の大切さを

思う出来事でした。

 

そして 学童疎開といえば 当時大きな悲しい出来事があったのです

 

それは????

 

明日に続く、、、。

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