EXECUTIVE BLOG
2024.11.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 清少納言と紫式部の話しでした。
清少納言も紫式部も彼女たちの名前ではなく 役職名なんです。
どちらも宮廷に仕えていたというわけです。
そんな 彼女たちは 何故 枕草子とかを書いたのでしょう??
古事記や日本書紀は 天皇から命じられて書かれた書物となっていますが
彼女たちも命じられたのでしょうか?
そもそも 小説家は 何故小説を書くのでしょうか?
登山家は何故山に登るかの?話で有名なのは
登山家のマロニーに何故山に登るのか?を聞いたところ
彼は「そこに山があるから」と答えたというエピソードがありますね、
同じ様に清少納言に 何故書いたのか?と質問したら
そこに紙があるから と答えたのでしょうか?
実際は違いますけど 現代でも多くの小説家 物書きが居ますね
商業出版であれば お金が貰えるから書くと言う人がいるでしょうけど
小説家は売れてなんぼの世界ですからね、
同じ様に 絵画も お金出すから描いてと言われるときもあるでしょうが
多くの画家は 自ら絵を描いていたと思います。
ゴッホの絵は 高価な値段がついていますが その価値がついたのは 彼の死後の話しで
生きている時は 貧乏な画家だったと思います。
彼等も 同じように そこにキャンバスがあるから描くと答えるのでしょうか???
と言う事で
何故清少納言は 枕草子を書いたのか? の話に進みたいところですが
話しが 又それて 登山家マロニーの話しへ、、、。
「そこに山があるから」という名台詞を残したのは、
1924年、エベレストの初登頂を試みて戻らなかった英国隊の
登山家ジョージ・マロリーの事です。
彼は2度のエベレスト登頂に失敗した後の1923年1月から4月にかけて米国で講演し、「なぜエベレストに登るのか」という、繰り返される質問に嫌気が差して
「そこにそれがあるから」と投げやりに答えたと言われています。
今ではそれだけが切り取られて 「そこに山があるから」 と言う言葉だけが
一人歩きして残っているのです。
しかし 実際は そんな投げやりな言い方をする人ではなかったそうです。
彼を知っている人たちは
「マロリーは知識人でロマンチストでもあったから、こういった切り捨てるような言い方はしない」と言っています。
何度も何度も嫌気がさすような質問を繰り返す馬鹿な記者にたいして
面倒になった彼がそう答えたのでは と言う事になっているようです。
実際、別の機会に、同じ質問に答えたという言葉が残されているのですが、
その時答えた言葉は
「ただ単に、達成衝動を満足させたいだけであり、この先に何があるか目で確かめたいという、抑えきれない欲望が、人の心には脈打っている」
と答えています。
最近のニュース見てても どこの記者か分かりませんが 同じ事を何度も質問して
失言を引っ張り出そうとしているのを見かけますが
同じ様な記者はいつの時代にもいたのですね、、
で このマロニーは 当時不可能と言われていたエベレスト登頂に成功したのか???
と言いますと、
実は分かっていないのです。
何故分かっていないかといいますと 実は 登山の途中で行方不明になってしまっていたからなのです。
そして 行方不明から75年後の 1999年に 彼の遺体が発見される事になるのです、
これが 登山中なのか下山中だったのか? が不明だそうです。
では 誰が最初に登頂したのか?? とか
の話は
明日へ続くのか?