EXECUTIVE BLOG
2022.12.10
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 水戸の黄門様の話で その水戸藩は
尊王攘夷の思想を持っていたと言う話でした。
何故 水戸藩が 徳川一門にも関わらず 天皇を尊ぶ思想に傾いたかは
又後日よいう事で
とにかく この思想が明治維新の時に広がり やがて 薩長を中心とした新政府が
出来あがって行くのです。
そして 天皇を中心とした国家が 軍部の台頭を許すことになり
平和を愛する天皇の意思に反して 太平洋戦争へと突入することになったのでした。
その開戦となった日が 昭和16年の12月8日で その日に 帝国日本海軍による
真珠湾攻撃が行われたのです。
12月8日は 米国ハワイ州では この攻撃を忘れるな的な式典が行われました
真珠湾攻撃から81年経った今も 米国民はこの事を忘れないように式典を行っています。
ニュースで見ましたが この時の戦闘に参加していた 元米国兵がいまだ健在だそうで
驚きました。
アメリカでは この攻撃を卑怯な攻撃だとして その後 「リメンバーパースハーバー」の
名のもとに 団結して 日本軍を潰すために戦い 昭和20年8月15日に 日本は
米国を中心とした連合国にたいして 無条件降伏をする事になったのです。
では この真珠湾攻撃は 何故起きたのか??
時の天皇は平和を望んでいたのにも関わらず 何故 不幸な戦争へと進んでしまったのか???
ですが
当時の日本は日中戦争で中国と戦争をしていました。
この日中戦争が長期戦へともつれ込んでしまいます。
日本は、日清戦争、日露戦争でも、そうであったように短期決戦を得意としていました。
なぜなら、資源に乏しいからだったのです。
宣戦布告から一気に攻め、
ころあいをみて有利な講和条約を結ぶというのが日本の勝利への方程式だったのです。
しかし、日中戦争では、
陸軍が政府の命令も無視してどんどん戦線を拡大してしまったのです。
拡大する戦線に対応する為、
国家総動員法という「国家がすべての人的物的財産を自由にできる」
などといった法律も作り、兵、財産、資源の確保に努めます。
この日中戦争においては、
一応中立という立場を守っていたアメリカでしたが、
1938年当時の首相近衛文博は、日本・満州・中国を統合した経済圏を作ることを示唆し、後に東南アジアをも含めた大東亜共栄圏というスローガンにまで発展します。
しかしこの声明にアメリカは強く反発したのです。
やがて、アメリカは日本に石油や物資などを輸出しない!
といった経済制裁にでたのです。
当時の日本は、石油の約8割をアメリカに頼っていました。
そのアメリカが石油を輸出しないとなったら、
もう中国と戦争は出来なくなります。
そうする事が米国の目的だったのかもしれません。
そこで、日本はアメリカと交渉をしますが、
アメリカの国務長官ハルは、中国から兵を引き上げ、
ドイツ、イタリアとの同盟を破棄し、中国を満州事変以前の状態に戻せ!
と無理な提案をしてきたのです
そういう事もあり
1941年10月首相に就任した東条英機は
ついに日本海軍によるハワイのオアフ島真珠湾攻撃、
及び陸軍によるイギリス領マレー半島上陸を決意し、
12月8日の真珠湾攻撃をもって太平洋戦争が幕を切る事になったのです。
この時までは 真珠湾攻撃の案は出ていませんでした
この作戦を強く推したのが あの有名な 海軍軍人なのです
それは誰か????
は
またまた明日へ続く、、、。