
EXECUTIVE BLOG
2025.12.31
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
本日は 大晦日です。
大晦日名物と言えば 知恩院の除夜の鐘ですよね、、、。
今年最後のブログは この話に進みます、、。
大晦日の夜、テレビや現地で除夜の鐘を見たことがある方の中には、
僧侶がずらりと横一列に並び、
一人が鐘木にぶら下がるような姿で鐘を撞いている光景を
強く印象に残しておられる方も多いのではないでしょうか。
「あれは特別な演出なのだろうか」「観光向けのパフォーマンスではないのか」
と感じるのも無理はありません。
しかし結論から申し上げますと、あの光景は決して見せるための演出ではなく、
長い年月の中で必然的に生まれ、今日まで受け継がれてきた正式な撞鐘の作法なのです。
その寺は京都にある知恩院で、
そこに吊るされている梵鐘は日本最大級の大きさと重さを誇ります。
高さは三メートルを超え、口の直径も非常に大きく、重さはおよそ七十トンにもなります。このような巨大な鐘は、一般的な寺院の鐘とはまったく次元が異なり、
一人や二人の力では動かすことすらできません。
そこで必要になったのが、多くの僧侶が力を合わせて鐘木を引くという方法でした。
知恩院では十数名の僧侶が横一列に並び、息を合わせて鐘木を引きます。
その際、先頭に立つ僧侶が鐘木に体を預けるようにし、
全体の重心とタイミングを整えます。
この姿が、まるで「ぶら下がっている」ように見えるため、
初めて見る人には強い印象を与えるのです。
しかしこの役目は演出ではなく、全員の力を一つにまとめ、鐘を安全に、
そして美しく鳴らすために欠かせない重要な役割です。
巨大な鐘木は中途半端な力で当てると、音が濁ったり、
鐘や鐘木を傷めてしまったりする恐れがあります。
そのため、合図役となる僧侶が全体の呼吸を整え、
「今だ」という瞬間を作り出すことで、初めて安定した一打が可能になるのです。
このような集団での撞鐘の形がいつから始まったのかについて、
はっきりとした年号が残されているわけではありませんが、
鐘が鋳造された江戸時代初期には、
すでに同様の方法が用いられていたと考えられています。
つまり、あの形は後から考え出されたものではなく、
巨大な鐘という現実的な条件から自然に生まれ、長い年月を経て定着したものなのです。
さらに、知恩院が属する浄土宗の教えとも、この姿は深く重なっています。
除夜の鐘は、
人の心にある百八の煩悩を一つずつ打ち払うために撞かれるとされていますが、
知恩院の鐘は
「一人ではなく、皆で力を合わせて撞く」という点に大きな特徴があります。
これは、人は一人で生きているのではなく、多くの人に支えられ、
助け合いながら生かされている存在であるという考え方と重なります。
煩悩を離れる道も、決して独りよがりなものではなく、
周囲との関わりの中で見いだされていくものだという教えが、
あの姿そのものに表れているとも言えるでしょう。
近年では、知恩院の除夜の鐘がテレビ中継や映像作品で頻繁に紹介されるようになり、
その迫力ある光景が広く知られるようになりました。
その結果、
「特別なショー」「年に一度のイベント」といった印象を持たれることも増えましたが、
実際には順序が逆です。
まず実務として必要な形があり、それが長い時間をかけて伝統となり、
後から映像として注目されるようになったのです。
決して人目を引くために作られた所作ではありません。
こうして見ていくと、僧侶が並び、一人が鐘木に身を預ける知恩院の除夜の鐘は、
巨大な鐘を扱うための知恵と工夫、
そして人と人が力を合わせて生きていくという思想が重なり合った、
極めて意味深い光景であることが分かります。
大晦日の深夜に響く一打一打には、単なる音以上の重みが込められており、
その背景を知ることで、除夜の鐘はより静かで、
より有難いものとして心に響いてくるのではないでしょうか。
今年も一年間ありがとうございました。