
EXECUTIVE BLOG
2025.4.17
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 加賀藩の知恵についての話しで、
幕末という大きな時代のうねりの中で、うまく立ち回りながら生き残った背景には、
加賀藩のしなやかな政治感覚と駆け引きの上手さがあったと言う話でした。
今日は その続きとなります。
加賀藩のその姿勢は、時に正面からぶつかるのではなく、空気を読みながら静かに、
しかし確実に自分たちの立場を守っていくというものでした。
これこそが「したたかさ」と呼ばれるものであり、
百万石の大藩が無事に明治維新を乗り越えることができた大きな要因だと言われています。
そしてこの加賀藩の“したたかさ”や“バランス感覚”は、
現代の石川県民の気質や文化の中にも静かに息づいているように思えるのです。
たとえば、金沢をはじめとした石川の人々は、どこか控えめで、
あまり自己主張をしない性格だと言われることがあります。
でも、それは単なる遠慮深さではなく、
自分の意見を無理に押し通さず、相手の立場を尊重しながら、
物事を円満に進めようとする協調性の表れともいえるのではないでしょうか??。
これはまさに、
加賀藩が江戸時代を通じて、徳川幕府とうまく距離を保ちつつ信頼も得ていた、
その政治の仕方にも通じるものがあると思うのです。
また、加賀友禅や九谷焼、茶道や能楽といった石川県に根付く伝統文化にも、
「目立たずとも本物を大切にする」という精神が色濃く残っています。
派手に自己アピールをするのではなく、見えないところにこそ美しさを求め、
心を込める。このような文化の姿勢も、
加賀藩がかつて「武よりも文」を重んじていた歴史から続いてきた流れではないでしょうか。前田家は、武士でありながらも学問や芸術を奨励し、多くの文化人を支援してきました。
その精神は、今の石川にある美術館や伝統工芸の継承、芸術祭などにも受け継がれています。
さらに、地域社会とのつながりを大切にする姿勢も、石川県の特徴の一つです。
たとえば、町内会や地域の行事、祭りなどを大切にし、地元の人々が協力して物事を進めていくという風土が根強くあります。
これもまた、加賀藩の時代から続く「自分たちのことは自分たちで守る」という精神の現れと言えるかもしれません。
そしてもう一つ特筆すべきは、
「言葉には出さずとも、内に強い思いを持っている」という姿勢です。
これは
石川県の人々に見られる、静かでありながら確かな信念を持つ生き方に表れています。
たとえば、困難に直面しても声高に叫ぶのではなく、
粘り強く、地に足をつけて乗り越えていく。
その姿勢は、現代の社会においても多くの場面で信頼される要素となっていると思います。
こうした特徴をまとめていくと、
石川県民の中には、加賀藩の時代に培われた
「状況を読む力」「目立たずとも芯の通った姿勢」「文化と知性への深い敬意」
「協調を大切にしながら自立を守る精神」といった、
非常にしなやかで強いDNAが脈々と流れているように感じられるのです。
歴史というものは、単に昔の出来事として語られるだけではなく、
現在の暮らしや考え方にも大きな影響を与えています。
加賀藩が御台所を迎えた背景にある、幕府との見事な駆け引き。
その中にあった「従うだけではない、でも争わない」という絶妙なバランス。
それは、
今の石川の文化や人のあり方の根底にも、確かに息づいているように思えてなりません。
表立っては語られないけれど、深く根を張っている賢さとしなやかさ。
激動の時代を乗り越えた加賀の知恵は、
現代を生きる石川の人々の中に、静かに、しかし確実に受け継がれていると思います。
今日は石川県の県民性を推察してみましたが
明日は 我が福岡県か はたまた長崎県の話になるのか?????
この話は
明日へ続く、、、、。