EXECUTIVE BLOG
2024.12.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 天皇陛下の話しで、
日本の天皇は イギリス王室を真似て 権力をもっているけれど統治しないと言う
「君臨すれども統治せず」の姿勢を守っておられました。
平安以後 権力の場に立つことがなく 戦国時代では それこそ 本当に地味に
生活をしていたわけです。
それが 明治維新によって 表舞台に立たされることになったのです。
天皇軍は存在しませんが いつの時代も 天皇に歯向かう事は許されないとの考えは
根付いていたのだと思います。
それが証拠に 幕末の 薩摩長州を中心とする維新軍と幕府軍の戦いにおいて
数の上では 圧倒的に幕府軍が勝っていたと思うのですが
ある時 薩摩軍が 天皇の印で ある 錦の御旗を 掲げただけで
幕府軍は 朝敵とみなされてしまい その瞬間に多くの藩が維新軍に従ったのです。
たった 旗の一本だけで 相手の戦意を喪失させるのですから
天皇の力とは 一体何なのか?? と考えさせられますね、、
戦前よく軍部を中心に使われていた言葉が 神国日本でした、、、、。
この「神国日本」を言い出したのは、天武天皇とされています。
天武天皇は、645年の乙巳の変をおこして蘇我氏を滅ぼし、
大化の改新をおこなった中大兄皇子、後の天智天皇の実弟になります。
天智天皇が崩御したあと、672年の壬申の乱で大友皇子と戦い、
勝利して天武天皇になりました。
この天無天皇が 神国日本を言い出した人と言われています。
そして 神の国であるならば 不滅だろうと言う考えが出て来て
戦争中に叫ばれていた言葉が 神州不滅と言う言葉だったのです。
神州不滅は、「神州は不滅である」との意味ですが、日本では水戸学の尊王論などに見られ、特に昭和から太平洋戦争終結までは軍部によるスローガンとしても使用されてましたね。
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、
「支那」すなわち中国は革命を主体とする国家で王朝交代があるので
「正気観念」にも変動があるが、日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので
「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした考えのもと
水戸の尊王論を広めていったのです。
この言葉を軍部は利用しない手はありませんね
どんなに負けが込んでいても 神の国が負けるわけないと 自分にも言い聞かせ
国民にも言っていたのです。
神国日本までは 分かりますが それが 飛躍して神州不滅の言う言葉になったのは
ずっと延び延びになっていますが
これが 鎌倉時代の アレなんです
もうお分かりかと思いますが 中国の元が日本に二度にわたり襲来しました。
ご承知の通り 元と言う国は 最盛期はヨーロッパまで進軍していた大国です。
その元が 海を渡った小国の日本を叩き潰すのは簡単だと考えていたと思います。
もし これが海ではなく 陸続きであったのであれば 日本は簡単に負けていたと思います。
しかし 海を渡って来るには 大船団で来るしかなかったのですが
船は嵐に弱いですよね
元は二度にわたる 日本への攻撃が 二度とも嵐によって 壊滅状態になってしまい
日本への侵略を諦める事になるのですが
日本は神の国と言ってたわけですから そこで 嵐が吹けば そりゃ だれでも
神風が吹いたと言うことになると思います。
どんな事があっても 最後は神風が吹いて 日本は助かると言う考えが
水戸の尊王論の中にもあったのではと思います。
そして 昭和の軍部も この神風が必ず吹くと信じて 沖縄戦も戦い
本土決戦も止む無しと考えていたようです。
しかし 最後まで神風は吹きませんでした。
平和の風が吹いたのかもしれません
ここで 水戸哲学についても 語らなければなりませんが
その前に 神国日本というように 一体誰が 日本と言いだしたのかにも
興味が湧きますよね
この話は
明日へと続く、、、