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社長&顧問ブログ

2025.7.25

神武天皇と八紘一宇

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは

八紘一宇の話しでした。

これは 神武天皇が述べたと伝えられていますが

今日は この話の続きに進みます、、、。

 

神武天皇が「八紘一宇」という理想を説いた理由は、

日本神話や古代国家形成における思想的・精神的な背景と深く関わっています。

 

八紘一宇とは

「八つの方角に広がる世界を一つの家のようにまとめる」という意味で、

元々は『日本書紀』の中に見える言葉です。

この思想を通じて神武天皇が目指したのは、単なる領土の拡張や支配ではなく、

天下の人々が心を一つにして、

調和と共存のもとに平和に生きていく国家の理想像だったと考えられます。

 

神武天皇は日本の初代天皇であり、神々の意志を受け継いだ天孫として、

大和の地(現在の奈良県)に都を築き、

そこで天皇としての統治を開始したと伝えられています。

 

このとき彼が掲げたのが、

「八紘為宇(八紘を以て宇と為す)」という理念でした。

 

これは『日本書紀』の中で、

神武天皇が橿原の地に宮を建てた際に、

「我が政(まつりごと)は、八方に広がる国土を一つの屋根の下に治めるがごとく、

人々を和して安んじたい」

というような意志として表明されたものです。

 

つまり、八紘一宇とは単なる権力の集中や武力による征服ではなく、

「すべての人々を一つの宇(いえ)のように包み、共に生きる」という、

和の精神に基づく理想の国家形成を意味していたのです。

 

この背景には、日本の神話的な世界観が深く関与しています。

神武天皇は天照大神の子孫であり、

天孫降臨の使命を帯びて地上に秩序をもたらす存在として描かれています。

 

高天原という天上の神の世界から、

この葦原中国(あしはらのなかつくに=地上)に

天の意志を実現するために降り立った天孫たちは、

単に日本を治めるためではなく、

天の徳を広め、混乱を治め、

すべての人々が調和して暮らせるように導くことが使命だったのです。

 

神武天皇が掲げた「八紘一宇」もまた、

この天孫の使命に基づく壮大な理想であり、

支配ではなく共生、武威ではなく道徳と仁政を通じて、

国土と民を一つにまとめ上げる意志の表れでした。

 

また、神武天皇がこの理想を掲げた背景には、

当時の日本列島が多くの部族・豪族による分立状態にあり、

各地で争いが絶えなかったという現実があります。

 

神武天皇は自らの「東征」を通じて、

これらの地域的な対立を超えた新たな秩序を打ち立てようとしました。

そしてその新たな国家像を、単なる武力制圧ではなく

「八紘一宇」という理念のもとに、人々が互いに敬い合い、

調和と信義に基づく共存社会として築こうとしたのです。

 

これは、日本的な「和」の精神や、

天と地と人との調和を尊ぶ価値観の延長線上にある理想であり、

神武天皇の治世の本質でもあります。

 

その後、この「八紘一宇」という言葉は、

時代を経て明治以降の近代日本、

特に昭和期の大東亜共栄圏構想の中でも引用され、

アジア諸国との共存共栄の理想として掲げられるようになりますが、

その原点は神武天皇の理想国家観にあります。

 

つまり、神武天皇が八紘一宇を説いたのは、

自らの血筋の使命感と、天意を地に広める責務、

そして人々が共に生きる平和な世界を築くという信念に基づいたものだったと理解されます。

 

言い換えれば、「八紘一宇」は神話と歴史をつなぐ理念であり、

日本国家の原初の精神的土台といえるのです。

神武天皇は単なる征服者ではなく、

天の徳をもって地上に秩序と平和をもたらす

「道のリーダー」であり、その象徴こそが八紘一宇だったのです。

 

この八紘一宇の石碑が宮﨑に建てられているのですが、

なぜ 宮崎にの話は、、、、

 

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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