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2026.2.18
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 神武天皇の銅像がある豊橋公園の話しでした。
今日は 神武天皇の神社が
我が福岡県の芦屋にある話に進みます、、、。
福岡県遠賀郡芦屋町に「神武天皇社」がある理由は、一言でいえば、
この地が古くから「神武東征の通過地」と語り継がれてきたからです。
神武天皇は『古事記』『日本書紀』において、
日向(現在の宮崎県)から東へ向かい、
大和を平定した初代天皇とされています。
その東征の道筋は神話的な物語ですが、
九州北部には「神武が立ち寄った」「軍を進めた」と伝える土地が点在しています。
芦屋町もその一つです。
芦屋町は遠賀川の河口に位置し、古代から海上交通の要衝でした。
響灘に面し、大陸や瀬戸内方面へと開けた地理条件を持っています。
古代において海は最も重要な交通路でしたから、
九州から本州へ向かう物語を描く際、このような河口や港湾地は
「出立の地」「寄港の地」として語られやすい場所でした。
神武東征の物語は史実として確証されているわけではありませんが、
各地がその足跡を伝承として受け継ぐ中で、
芦屋もまた「ゆかりの地」と位置付けられたのです。
では、いつ神社として整えられたのでしょうか。
多くの神武天皇関連の神社や顕彰は、
近代以降、とりわけ明治期から昭和初期にかけて整備されました。
明治政府は天皇を国家統合の中心に据え、
神武天皇を「建国の祖」として顕彰しました。
神話は国家理念と結びつき、地域でもそれに呼応する動きが広がります。
芦屋町の神武天皇社も、古い伝承を背景にしつつ、
近代国家形成期の価値観の中で整えられた可能性が高いと考えられます。
特に昭和15年(1940年)の皇紀2600年は大きな節目でした。
全国で奉祝行事が行われ、
神武天皇に関する記念碑や社殿の改修、顕彰事業が盛んに行われました。
九州は神武東征の出発地とされる地域であるため、
神武顕彰の気運が比較的高まりやすい土地柄でもありました。
芦屋町の神武天皇社も、その流れの中で地域の歴史意識と結びつき、
維持・整備されてきたと見るのが自然です。
もう一つ重要なのは、地域社会の心理です。
海と川が交わる芦屋は、古来より外へ開かれた町でした。
漁業、商業、軍港としての歴史も持ち、常に「外との接点」に立ってきた土地です。
その町にとって、国家の始まりを象徴する神武天皇は、
単なる神話上の存在ではなく、
「日本の始まり」と「この地の海の広がり」とを重ね合わせる象徴になり得ました。
地域はしばしば、自らの土地を大きな物語の中に位置付けようとします。
神武天皇社の存在は、
芦屋町が自らを日本建国の物語の一部として捉えた証でもあります。
歴史学的に見れば、神武天皇の実在性は確認されていません。
しかし、重要なのは実在の証明よりも、
「なぜこの地がその名を祀り続けてきたのか」という問いです。
芦屋町の神武天皇社は、古代神話の足跡というより、
地域の歴史意識と近代国家観が重なり合った結果として存在しています。
神話が国家理念となり、その理念が地域社会に浸透し、
やがて土地の風景の一部になる。
その過程が、芦屋町の神武天皇社には刻まれているのです。
遠賀川河口の静かな風景の中に建つ社は、
壮大な建国神話を直接語るというよりも、
「この町もまた日本の始まりの物語につながっている」
という思いを静かに伝えています。
なぜ芦屋町に神武天皇社があるのか。
その答えは、地理的条件、神話の伝播、明治以降の国家理念、
そして地域の誇りが重なった結果だと言えるでしょう。