EXECUTIVE BLOG
2025.2.15
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは GHQの占領政策の話しでした。
占領軍は 国家神道が戦争へ繋がると考え 色々な規制をかけてきました。
国家神道が戦争に繋がると言うのであれば
GHQはなぜ靖国神社や伊勢神宮を壊さなかったのか?
との疑問が湧きますよね、、。
実は戦後、GHQ内では「靖国神社を取り壊すべきではないか?」という議論がありました。
靖国神社は戦没者を祀る神社であり、戦争中は軍国主義の象徴とされていました。
特に昭和天皇の参拝など、国と密接に結びついた存在だったため、問題視されていたのです。
しかし、GHQ内には慎重な意見もありました。
靖国神社を破壊すると、日本国内で強い反発を招き、占領政策が難しくなる可能性があると
考えたのです。
GHQの目的は「日本の非軍事化と民主化」であり、宗教弾圧と見なされる行動は避けたかったのです。
そのため、「神社を取り壊す」のではなく、「靖国神社を国の管理から切り離す」という形に落ち着かせたと言うわけなのです。
1946年、GHQは「神道指令(Shinto Directive)」を発布し、国家神道を解体しました。
それで、靖国神社は国の管理から独立し、一宗教法人として存続することになったのです。
さらに伊勢神宮や出雲大社はなぜ残ったのか?とも思いますね、、、
伊勢神宮や出雲大社は、日本の伝統的な宗教施設としての意味が強く、
靖国神社のように軍国主義とは直接結びついていませんでした。
伊勢神宮は皇室との関係が深く、天皇家の祖先神である天照大神を祀っていますが、
戦争を賛美したり軍事的に利用されることはなかったのです。
出雲大社も、神話や民間信仰の要素が強く、戦争とはほとんど関係がありませんでした。
ここで考えられることは
GHQの狙いは、日本の宗教を壊すことではなく、「国家と宗教が結びつくことを防ぐ」ことだったと言う事がわかりますね、
そのため、
国が神社を管理しないように制度を変えたものの、神社そのものを破壊することはありませんでした。
GHQは、日本の伝統的な信仰そのものを否定したわけではなく、
国家と宗教を切り離す」ことを目指しました。
そういう事で
靖国神社は国の管理から独立し、宗教法人として存続し、
伊勢神宮や出雲大社など、戦争と直接関係のない神社は残ったと言うわけです。
もしGHQが大規模な神社破壊を行っていたら、日本国内で大きな反発が起こり、
占領政策が困難になった可能性があります。
宗教施設を壊すのではなく、政教分離を徹底することが優先されたのでした。
国家神道は、単なる宗教ではなく、政治や社会と結びついた特別な存在でした。
戦後、GHQはこれを国家から切り離し、日本の民主化を進めるための政策を実施しました。しかし、日本の伝統的な神社は信仰の場としての側面が強かったため、
破壊されることはありませんでした。
結果として、靖国神社は宗教法人として、伊勢神宮や出雲大社は信仰の場として、
今日まで残ることとなったのです。
おかげで 私も 伊勢参拝が出来ると言うわけです。
ところで 意外にご存知ない方が多いのが
あの神社のご神体は??? なんですが
その話しは
明日へ続く、、、。